そしたら、わたし、こんな感想を書いていたのね。こんなのを、自分が書いたものとは にわかに思えなかった。一部手を加えて引用してみる。
「滑稽」という本を読みおえた。いろいろと感想はあるのだけど、ちょっと気に なったのは、象徴的二元論という考え方。別にこれ自身は目新しいことでも なんでもなかったのだけど、この本の著者が、この二元論から内部と外部の 切り分けが行われることを示唆していることに衝撃を受けた。つまり、ある性質が 連続的な尺度を持つならば、平均から外れたものは、他と厳しく峻別され、 場合によっては「異人」(strangeness)とみなされるのである。
そして、象徴的二元論の対立概念として、男女が持ち出されているのである。
もし、男と女という性質が、たとえ、狭い範疇において(人間という生物において)でも、 対立概念だとしたら、現在の社会が強制する奇妙な中性化は破綻をきたすことに なるだろう。もし、広い範疇(生物全体)で、対立概念だとするならば、人間という 生物の自滅行為に近いだろう。
そういうことがわかってしまった。
なんとも、まったく恐ろしい本である。
さて、私はいまだに悩んでいる。果たして、男と女というのは対立概念 なんだろうか。これに結論が出せたとき、小学校の時の、 せんせいからの気分の悪い質問、
「女の子の出席番号が男の子の後なのは男女差別と思いますか?」
という、ろくでもない問いの背景に、初めて結論が出せるんじゃないかなと思う。 私はこのとき、「そんなくだらないこと、どちらでもいいでしょう。」と、 答えたんだけど、この問い自身、もし、男と女が対立概念でないとしたら これほど適切な答えはないのではないかと思うのだ。
もし、男と女が対立概念だとしたら ... それがなんだか悲しいような 気がするのは、私が育ってきた環境のせいなのだろうか。そして、 対立概念と考える人たちは多いのだろう。どこぞの知事が、やたらと土俵に 上がりたがっている辺りを見ると。
大室幹雄の本をちょっとぱらぱらと見なおした。やっぱちょっと怖いものが あるわい。
ウチは実にラブラブです。
そういうはなしじゃないよう。<br><br>まあ、またのもう。