ぷっちん日記
2010-12-16 (木) 札幌Ruby会議03と「現実の砂漠」 [長年日記]
■ 札幌Ruby会議03と「現実の砂漠」
先日、2010/12/4に札幌で開かれた SapporoRubyKaigi03 に参加してきた。それはそれは素晴らしいカンファレンスだった。会場が快適で適切、プログラムが秀逸、ホスピタリティに溢れ、各トークが素晴らしい。私自身も何とかトークをすることができたし、思いがけないほどの好評をもらえて非常に嬉しかったし、ガラスの仮面の布教(?)もできたし、もっと少女漫画を読めと "ガツンと言ってやった" しで、本当に楽しかった(どうしても話したかったことを話させていただいて感謝しています)。
しかも誕生日ということもあって、懇親会でみなさまに温かくお祝いをしていただいて感激したし(本当にありがとうございます!)、個人的な目標であった「前夜祭の舟盛りを制覇(完食)する」「風邪をひかない」も達成して、言うことなしの満ち足りたイベントだった。
そんな中で、以前から引き続いて私のなかでもやもやし続けているキーワードがある。角谷さんの「現実の砂漠」というやつ。
私は角谷さんの電波が大好きな信者を自負しているが、「現実の砂漠」に対する問題意識は私の中にはないものなので、そこで取り残されるというか、ストンと腑に落ちない物が残る。
"Ruby会議は夢のように楽しいけど、月曜の朝はいつもの現実の砂漠。というのが大半なんじゃないのか。これをどうにかしないといけない。Ruby会議が夢のように楽しいだけではいけない" というような事を言っていると理解しているんだけど、そもそもその理解も違うかもしれない。とにかく、ここでだいたいついていけなくなるのだ。
私は、Ruby系のイベントで「感動した」「癒された」等、技術系カンファレンスでは通常出てこないような感想が出てくる原理のひとつに、自己肯定作用があると思っている。
つまり、例えば世の中にはこんな「呪い」が存在する。
- 仕事なんてつまらなくて当たり前
- 大変だから仕事なんだ
- 楽しいことなんて仕事といえないよ
- 楽しいツールを使うとか、趣味の話でしょ?
これに対して、自分の好きなことをして人の役に立ちたい、楽しい大好きなツールを使って仕事をしたい、なるべく楽をして目的を達成したい、仕事を効率的にこなしてプライベートを充実させたい、というような価値観もある。Ruby系の "感動する" イベントでは、こうした価値観を肯定する効果があると思う。楽しくてもいいんだ、あなたがそういうふうに考えることは間違ってないよ、と言ってもらうことで癒されるわけだ。
なのだけど、一方で「カンファレンスで感動してるなんておかしい、陶酔してるだけじゃなくて現実を生きろ」みたいなことも言われているように思う。しかし、私にはイマイチこれがわからない。
カンファレンスと月曜からの仕事は、夢と現実のように対比するものではないと私は思っている。カンファレンスで色々な刺激を受けて、自分を再発見して帰る。翌日は再発見した自分でがんばっていく。とても良いことだと思うよ。
コミュニティ活動の目的は砂漠を砂漠で無くす事なのだろうか?
そうじゃなくて、砂漠でも草原でも楽しく生きられるようにすることなんじゃないだろうか。砂漠がつらいなら、緑化するなり、移住するなり、どうにかしようという話になると思うが、それはコミュニティ活動の目的ではなくて、参加者たちがそれぞれに取り組む問題ではないのか。だから、現実の砂漠と会議の価値は直接関連しないんじゃないか。現実が砂漠だからカンファレンスでは足りない、むしろ毒だ、というようなことではないのではないか。環境がどうあれ、そのなかで自分たちがまずどのように生きるかという事について会議が手助けになればそれは十分に素晴らしいと思う。