2002-04-13 (Sat) ついてないヤツ
▲ 事故
上機嫌で宴会から帰ると途中で突然オヤジから電話。弟が車にはねられて意識不明とのこと。バイク運転中に交差点で信号無視してきた車にやられたそうな。一命は取り留めたものの複雑骨折とか重症らしい。お見舞いに行こうか。
2006-04-13 (Thu)
▲ COLNAGO IMPACTかっこええ
懲りずに中目黒ぬかやに行ってみた。ニコニコ笑う店長さんの親切な応対でつい
「SIRRUSぐらいの予算で」
というところを
「SIRRUS COMPぐらいの予算で」
と口が滑ってしまいドギマギする。
上げてもらった候補は次の三つ
SR81は値段に比較して装備が充実だ。ROUBAIXはほとんどロードレーサーで敷居が高い。
IMPACTを跨らせてもらったがdeep buleがかっちょええぇぇぇ。フレームサイズもちょうどぴったりくる520が店頭在庫であった。んが予算オーバーだよな...この価格帯にしてフロントフォークがカーボンじゃないのか。ううむ。タイヤが細すぎない28cなのは初心者にやさしいかな。持ち上げてみるととにかく軽く(や)でも軽々と持てるくらいだ。
結局決めることができずに
「1日ください」
と店を後にした。
2011-04-13 (Wed)
▲ 実家の支援
私の実家は、仙台と塩釜の間に位置する多賀城市にある。 多賀城市には仙台新港(仙台塩釜港)の一部があり、仙台市街よりも沿岸に位置している。 そんなわけなので東日本大震災では、津波の被害を受けた地域になる。
先週末の4/9-4/11に実家へ行って実際に被災した現場の中で気がついたことを書き留めておこうと思う。 すぐにでも行きたかったところだが震災後1ヶ月のこの時期になったのは、 すぐにできる支援は有能な弟がすべて実施しており、 ライフラインがある程度復旧しないとやれる仕事も限定されてしまうので、作業可能になる頃合いを見計らっていたからだ。 たとえば、浸水した床や家具を洗うにしても水道が通ってなければできない。
現地は、今も基本的なライフラインがいろいろと不自由で、不安定。復旧したとしても余震の影響や点検、不具合によってたびたび止まる。それだけでも当たり前の生活をおくることができず別世界のようだ。
4/7の大きな影響で停電していた灯りがついた瞬間、家族みんなで拍手喝采したり電気が通る幸せを噛みしめた。 上水も断続的ながら回復。ガスは田舎だけあってプロパンガスでなんとかなっていることが多い。 それでも電気、ガス、水道がそろってなお、お風呂に入れない家庭も多い。浸水でボイラーがいかれているからだ。業者も引き合いがありすぎて対応しきれない上に流通の混乱で、パーツがないこともあり修理がおいつかないのが現状だ。
そんな中、近所の人たちが協力してお風呂を貸したり借りたり。なんだか自分が実家にいたときより近所の人たちとの絆が深まっていたのが印象的であった。
また、ライフラインが不安定だと曜日や日にちの感覚がまるでなくなることに気がついた。母に何度も曜日を聞かれたりした。
あとは下水が問題だ。下水処理場は、だいたい川の河口付近にあるが当然ながら津波によって壊滅的なダメージをうけてこんなありさまだ。復旧のめどが立たず多賀城では下水の逆流もおこっている。これだけでも復旧には数年かかるだろう。
以下、見てきたところのメモ。
▲ 仙台駅
4/7の大きな余震の影響で新幹線はおろか在来線も全部不通になった無人の仙台駅。これが昼間なのが信じられない。東京で言ったら東京駅が、無人化してるようなもの。
▲ 実家の中
▲ 車
▲ 近辺
▲ 七ヶ浜
従兄弟の家の近くの七ヶ浜町の汐見台の被害がひどすぎて言葉もない。ここらへんは木造住宅が並んだニュータウンだったがすっかり更地になった。もし津波の時にここに居たら当たり一面逃げ場なんて無しという感じだった。
▲ まとまらないまとめ
空気が悪く、道も泥だらけで風が吹くと乾いた泥が舞うのでマスク無しではすぐ病気なりそう。花粉症が悪化してしまった。母も風邪をひいていたが、4/7の余震で夜中に車で避難したせいでだいぶ悪化してしまっていた。
とにかく1回や2回いっただけじゃどうにもならない感じなので継続的に支援するしかない。
とはいえ新幹線が無いのは辛い。 まとまった時間が無ければ行けないので、 次に行けるのは黄金週間になってしまう。 緊急輸送の高速バスが、今の金額で続行してくれるとありがたいのだが。
# Nay [お見舞い行こう!]