2011-12-09 (Fri) 退職しました [長年日記]
▲ 退職しました
退職については個人的なことなので迷ったのですが、ある人に促されたこともあり日記に書くことにしました。書いてみたもののやっぱり個人的なことですね。
12/9付けで伊藤忠テクノソリューションズ(CTC)を退職しました。CTCには10年と8ヶ月在籍していましたが、メインストリームのSI開発だけでなく様々な仕事を経験させてもらいました。海外の有望そうなOSSをスタックとしてまとめた製品を日本へ導入する際の技術支援であったり*1、Web2.0が流行ってた時期にグループ会社のWebサービス開発にかかわったり、Rubyとの出会いや社内Ruby普及の推進や、最後には、ひとつの目標でもあったRubyを使った*2パブリックなクラウドサービスを開発できたこともあります。そういった貴重な経験が私の技術やキャリアになっていて、今も感謝の気持ちでいっぱいです。
そんな会社を何故辞めなくてはならないのかと言えば、直接のきっかけは3.11の東日本大震災です。 私の宮城の実家は被災して、津波の被害を受け大規模半壊になりました。 そのため文字通り実家を建てなおさなくてはならなくなりました*3。
周辺状況の変化にあたってこれから次の10年を考えたときにCTCでは、自分の家庭に加えて実家も支えるようなキャリアを築くのは困難であると判断したことです。CTCでは、ある程度まで達したエンジニアをエンジニアとして評価してキャリアアップできるようなパスは存在しません*4。残された道はラインのマネージメントをするしかないのです*5。
また、RubyKaigi2011にてJRubyのTomや@ITの西村賢さんらとランチに行った際に西村さんから「今SIerに在籍している人はいつ外へ出るかタイミングをみているだけだ」というようなことをズバリ言われてしまい、外からSIerがどのように見られているのかとSIerで今やっている仕事について考えるきっかけにもなりました。
もうひとつ、執筆や講演の依頼をいくつか頂くようになると、「副業禁止」の社内規定が厳しく足かせになることがあり、基本的にはこれらの活動が禁止されているのも苦痛でした*6。他に、厳しすぎる制限のあるネットワーク環境のせいで新しくできたクラウドサービスを試すことができないジレンマなどもありました。
私には私のできることしか出来ないし、自分のやりたいエンジニアリングによって、キャリアを積むことが困難であれば、これ以上在籍していてもお互い不幸だと考え決心が付きました。
ということで道を別れることになりましたが、退職を表明してからというもの、素晴らしい部署と素晴らしい同僚に恵まれていたことを再確認する日々でした*7。いろいろと企画していただいた皆様、本当にありがとうございます。またどこかでお世話になるかもしれませんので、そのときはどうぞよろしくお願いします。
花瓶に入りきらないほどのたくさんの花の香りの中で。