トップ «前の日記(2009-11-25 (水)) 最新 次の日記(2009-12-14 (月))» 編集
2002|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2003|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2004|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2005|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2006|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2007|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2008|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|03|06|07|08|09|11|12|
2011|01|03|04|05|07|
2012|01|02|03|06|07|
2013|03|04|05|07|09|
2015|10|
2016|08|10|

ぷっちん日記


2009-12-13 (日) 栗本薫を偲んで [長年日記]

栗本薫を偲んで

私はグイン・サーガが出てもすぐに買わないし、アニメも全部見ていない。録画はしているし多分DVDも揃えるけど。

栗本薫と出会ったのは中学1年のときだ。当時中3だった、少しアウトロー気味の先輩に貸してもらった。いしゆみという漢字が読めなかったのをいまでも忘れられない。

貸してもらったのが第六巻の「アルゴスの黒太子」だったことが重大だった。その巻は陰謀篇のはじめで、アルド・ナリスの出番だったのだ。おかげで借りたその日からコテコテのナリスファンになった。まあ、1巻から読んだところでそれは変わらなかったと思うが。

栗本さんは私にとって、とても大事な人だった。

正直にいって、栗本作品が全部、すばらしいと思っているわけではないと思うが、しかし特別ではあった。読んでいる人に特別だと思わせる魔力があった。強いて挙げれば要素は2つある。ひとつは、非常に自然に読める冗長な文体。もうひとつは何か魂の中で共鳴する泥くささ、もがいている、なじめないなりに世界の中で自分で居場所を作ろうとする生命力、器用さ、そしていびつさだ。

私は栗本さんの文体の自然さ、文系的な論理的かつ冗長なところが大好きだったし、何よりも、いびつななりに世界に適応しようとするたくましさ、したたかさが好きだった。好きだったというか、それは自分が辿ろうとしている人生の輪郭に見えた。栗本さんに出会わなければ、私はもっと迷っていたかもしれないし、何より、難しい時期を乗り切れなかったかもわからない。

見切れていなかったアニメをたまに観る。そうすると、エンディングテーマがまるでレクイエムのように思える。アニメに関わった人も、栗本さん自身も、栗本薫のこの世での時間が少ないことは十分に知っていた。そうとしか思えない。一読者であった私でもそれは察知していたし、訃報を聞いた朝も「そういえば、そろそろじゃないのかな」と思っていたくらいだから。何より、アニメを見ればそれはわかるんだ。それで切なくなってこういう日記を書いてしまう。

栗本さんが亡くなったときは、あまりにも衝撃が深すぎて、こういう文章を書くことはできなかった。こうやって書いているということは、私のなかで衝撃が薄れ、受け入れられていっている過程だということを意味している。

だからこれからもたまに、栗本薫のことを書いていきたいと思う。一読者として。


 以前の日記