チナウ
2005-04-04 (月) こでまりの花咲く頃。
■ もっとうまくあなたに想いを伝える事が出来たなら。
私が小学校低学年の頃、校内で竹馬がはやった。
子供は所詮新しもの好きであるからして、一瞬のうちに竹馬が大ブーム、親にねだってマイ竹馬を買ってもらう子供が続出した。
赤や青やと色とりどりの竹馬、筒部分に鈴が仕込まれており、歩くとシャンシャンと音が鳴る。
おもちゃ屋には急遽竹馬コーナーが設立され、今のうちにと大量の竹馬が仕入れられた。
幼馴染たちも次々と竹馬を購入、あいつが赤色買ったなら俺は緑だとか、ヒロシはガキ大将で青だからそれと同じ色は買ってはいけないとか、子供ナリのくだらない決め事が飛び交った。
当然流行に敏感で流されやすいステレオタイプのお子様だった私にも、にわかに竹馬熱がムクムクと膨れ上がる。
しかし子供の頃は利発だったワタクシ、親に物をおねだりする事が大の苦手。
グズグズしているうちに幼馴染(全て男)がどんどんと竹馬を購入し、とうとう一番トロイ豆腐屋のタッチャン(デブ)までが黄色(買うならカレー好き黄レンジャーカラー以外認めないというヒロシの鶴の一声で決定)を手に入れた時、とうとう私も親にねだらざるおえない状況に追い込まれた。
今まで人の竹馬をぶんどって遊んできたが、タッチャンまでが手に入れた今、もう人に借りて遊ぶのは私のプライドが許さない。
しかし問題は父親。うちの父親は、そう簡単に物を買い与えてくれる人物ではなかったので、私はどのタイミングで話を切り出すか必死に考えた。
時は4月頭。良くも悪くも時期的にはチャンス。私の脳裏を2つのパターンが駆け巡る。
その1:買ってもらえない。
みもふたも無い結果だが充分にありえる。
「ダメ!」といわれたら、「・・ですよねぇ〜・・」と引き下がるしかない。
その2:買ってもらえるが、4月末の誕生日までまってそのプレゼントとされる。
子供にとって、1週間でも長く辛いもの。
それが3週間も後となるともう買ってもらえないのと同意語。
そのうえ、今年の誕生日に密かに狙っていたヌンチャクを諦めねばならない。
ヌンチャクか。竹馬か。
そんな事をグルグル考えながらも、私は一大決心して父に歩み寄った。
お父さん。竹馬。欲しい!!
「お!竹馬か!お父さんも得意だったぞ!!よしよし、今度の水曜日にな。」
なんと二つ返事で快諾!水曜日は父の休みの日。(自営業)
後2つ寝ただけで、私は晴れて竹馬のオーナーである。ヤタ!!
翌日私は颯爽と登校し、青色の竹馬を買ってもらうと高らかに宣言。
当時ガキ大将のヒロシといえども、私の力には及ばなかった。子供の頃の女子は大きい、加えてその頃の4月生まれと3月生まれの体格・知能の差は馬鹿に出来ない。
ヒロシとて、トモちゃんよかったねと祝福するしかなかった。
後は寝て待て水曜日。
いよいよ当日、ダッシュで家に帰る私。おとうさん!!竹馬!!と息を切らして駆け込む私を、父はヨシヨシと迎え入れてくれた。
早速行くかと立ち上がる父。ウキウキと付いていく私。私は父の車の助手席に乗せられブーンと発車。
今思えばココからもうすでにおかしい。
我が家は自営業、商店街住まい。
商店街には、今まさに竹馬売り時と、商魂たくましく竹馬コーナーをいち早く設置したおもちゃ屋がある。歩いて数十秒。何故車に乗る必要があるのか。
しかしそこは所詮子供。タッケウマ!タッケウマ!と頭の中で連呼しながら、窓の外を流れる景色を見つめていた。はっきりいってバラ色だった。
景色はどんどんのどかになって行く。どんどん山へ入っていく。クネクネと山道を登って行く。
車はとうとう民家の前で止まった。中から人のよさそうなおじさんが出てきて、なにやら父と談笑をはじめる。おや、お嬢ちゃんだったのかいと、見知らぬおじさんにヨシヨシされ、父もヤンチャで困りますわといいながらも得意げだ。
さすがに私の中に、違和感が芽生え始める。
父が、花好きの母のためにこでまりの花を摘んでおいでと私に言う。
花を摘む私の後ろで、父とおじさんがなにやらガチャガチャ何かを運んでいる。
ものすごく嫌な予感が襲ってくる。
ものすごく・・・ものすごく・・・・・・もう・・・振り返る事が出来ない・・・。
そうなってくると子供ながらにケナゲに自分に自己暗示。いや、気付くまい、早く帰って竹馬を買ってもらおう、あの、シャンシャン鈴の音のなる、あの、王者の印ブルーの竹馬を・・・・
「トモー、ちょっとこっち来い。これ、握ってみろ。うん?どうだ?太すぎるか?ヨシヨシ、こんなもんか?」
手に握らされているのは、まさしく竹。青々とした立派な竹。みずみずしく、立派過ぎる、本物の竹。
そんな時にも私は、早く、家に帰って、竹馬を買ってもらおう・・・あのブルーの・・・と、念仏のように唱えつづけた。気が付いたら負け、気が付いたら取り返しのつかないことになる・・・・・。
帰り道、運転席と助手席の間を区切る立派な竹、車に納まりきらず後ろの扉を開けてなおも飛び出している立派な竹。
車がカーブを曲がるたび、私の頭にコツコツと竹の感触が当たるたび、見ない・考えない・ブルーの竹馬買ってもらうを念仏のように唱えつづける私。
家に着くや否やノコギリを持ち出しギーコギーコはじめる父。
ここまで来ると、今度はどうやってこの恐ろしく見当違いな行為を止めさせるべきか考え始めた。
私は確かに竹馬が欲しい。欲しいが、それは、竹馬であって竹馬でない、似て異なるものであって・・・。
うつろな目でブツブツつぶやく私。もう、これなら、いっそのこと竹馬なんていらない・・・・。
そんな私の繊細な心とは裏腹に、こんなことさせたらこの地区でナンバーワンの父の手にかかり、竹馬はサクサクしあがって行く。乗る部分ももちろん立派な竹!!
父は私の隣に2メートル以上はありそうな竹をそえては、どれくらいの高さがいいかとノリノリ。
皆どれくらいの高さかと聞かれ、膝ぐらいかな・・・とつぶやく私にニヤリとする父。
皆が膝ならトモは胸の高さだなと狂った事を言い出す父。
出来上がった竹馬は、小学生が乗るにはあまりにもダイナミックな大地の恵。
当然乗れるはずも無く呆然とする私に、父は乗り方をもったいぶって伝授する。
家の前にある塀の突起に足をかけてよじのぼり、そこから竹馬に乗り移る技をあみ出す父、又よせばいいのにマスターしてしまった私。
翌日頑なに竹馬について触れなかった私も、とうとう放課後幼馴染たちによって問い詰められる。
観念してマイ竹馬(本物志向)を登場させた時、その瞬間の幼馴染たちの驚愕の表情を私は今も忘れる事が出来ない。
開口一番のコメントは、「なにそれ!」だった。
カワイイ竹馬をシャンシャン鳴らせてヨチヨチ歩き回る幼馴染の中で、私一人カッカと歩幅もでかく闊歩する姿はさながらキリン。とにかくでかい。
現代的なカラフル竹馬に囲まれ、買ってもらえなかった貧しい子のような私。
しかもこの竹馬、高さがある分操作が難しく、はだしで乗らなくてはいけない。
益々広がるビジュアル的貧富の差。
そのうちガキ大将ヒロシが乗ってみたいと言い出した。何度かチャレンジして乗れるようになると、普段見なれない高い視界にすっかり夢中になった。
そうなってくるとオレモオレモと群がる幼馴染たち。乗りこなすのが難しかった為、乗れたときに芽生える優越感が子供たちを虜にした。皆が私のお手製の竹馬に夢中になったが、デブのタッチャンだけは折れたら困ると乗せなかった。
皆が私の竹馬に乗っている間、ヒロシの青の竹馬に乗った。あれほど欲しかった竹馬が、とても小さく物足りなく感じた。
子供用の竹馬は長さもなく、高さ調節ができるとはいえ限度があった。
そして軽さ、握りやすさは本物の竹にかなうはずも無く、災い転じて福となり、私の竹馬は超機能的ライドとなり、商店街の中でも有名になった。
竹馬かけっこ勝負にも、竹馬階段上り下り勝負にも、誰も私の前を走る事が出来ず、父は大変満足そうに、「トモだけだからな。誰にも作ってやらんからな。」と恩着せがましく私に語りかけてきたりした。
そんな肝を冷やした一大竹馬ブームだが、子供特有の飽きっぽさで無事終焉を迎える。終わりは私の中で特に分かりやすく訪れた。色んな道を乱暴にダッシュしつづけた上、雨風に当たる場所に毎日放置していたつけが回り、私の素材を大切にしたエコロジー竹馬は足元から割れだし、最後は自然へ還ることによりめでたく終止符を打った。
思えば父は生粋のガキ大将で、それがそのまま大きくなったような人だった。
休みの日は私や幼馴染を引き連れ近所の河原に連れて行ってくれた。
昔ながらの遊びを教えてくれ、何をやっても近所のお父さんたちより運動神経がよく、子供たちの憧れの的だった。
そんな父が私はダイスキだった。
実は一大竹馬ブームの後に、ひっそりと缶ポックリブームがやって来た。
商魂たくましい近所のおもちゃ屋は、缶ポックリの部分に可愛いイラストやマンガのアニメが書かれたものを入荷した。
そこそこ流行ったが、さすがに今度の事件に懲りた私は、父だけにはその事を言わなかった。
1メートルもある缶ポックリとか作りかねん。作られた日にゃこんどこそ死ぬ。
私の時代に一輪車ブームが来なくて本当によかったと思う。
2007-04-04 (水) マイニチハチョットイイコトガアフレテイル。チョトネ。
■ いいものミタ!
本屋で諸星大二郎の本を物色してると、後ろでフランス人が【ベルセルク】 大人買いしていた。
その隣で友人らしきフランス人が一生懸命話してるんだけど、フランス語の中にところどころ、【キテレツ】 【シシマル】とかいうワードが混じってた。
日本語読めるのかという事より、キテレツとシシマルは同じ漫画に出てこないという事を分かっているのか心配になった。
シシマルはチクワが好きなんだよ! ←私なりの親切心
■ いいものキタ!
今なりたい職業がある。
某ピザ屋が会員登録した客にサービスメールを送るのだが、ぜひともその内容を考える仕事をさせてほしい。
私の携帯はびっくりするぐらい鳴らないが、そこに登録したとたんものすごくマメにメールが届くようになった。
最初はウザいな、登録取り消そうかなと思っていたのだが、その届くメールのマメさと強引さに、いつしかとりこになっていた。
【クリスマスにはピザでホームパーティはいかが?】
【サッカー日本代表を応援しよう!観戦のお供にピザはいかが?】
ここらあたりはごく普通。
【ひな祭りにはピザでお祝いを!】
等、年中行事はもちろん網羅。
【バレンタインにはピザで告白!】
【ホワイトデー、お礼にピザを!】
お菓子業界真っ青の行って来い計画が水面下で進められてる様子。
【勤労感謝の日。感謝の気持ちをピザにこめて!】
いや、それ感謝にならない。
【暑い日にはピザで元気に!】
【寒い毎日ピザで心も体もほっかほか!】
暑くても寒くても、とにかくピザを食べると元気になるらしいことは伝わってくる。
【憂鬱な雨もピザでハッピーに!】
【天気のいい日は窓を開けてピザをいかが?】
心理状態や食べ方まで至れり尽くせり。
そんなわけで本日4月4日。
ひな祭りにも律儀にメールをくれた奴のこと。
私は楽しみに待っていた。きっとやってくれる。奴ならきっとやってくれる。
4月4日はオカマの日!さあこい。どんなメールださあこい!
【4月4日はヨーヨーの日!】
聞いたことねぇよ。
■ いいものミツケタ!
ごそごそ片付けをしていたら、2通の手紙が出てきた。
両方ミホコからで、1通は去年出産祝いを贈ったときのお礼、もう1通は私が東京に出てきて1ヶ月もしないうちに届いた、じつに10年も前のものだった。
出産祝いのお礼は母親らく落ち着いたシミジミしたものだったが、10年前の手紙はやっぱり内容にエッジがきいている。
【トモちんが東京に行っちゃったという実感がようやくわいてきたようで、いまごろジワジワ寂しくなってる。
〜中略〜
今朝会社に行ったら●●部長のやつ・・・・(延々エロを織り交ぜた内容の悪口)あいつ美川憲一に似てるくせに・・・(延々エロを織り交ぜた内容の悪口)】
そんな180度ちがう内容とテンションに、時の流れを感じてちょっぴり切なくなった。
が。
ふとみると2通とも手紙の書き出が同じで、
【ボンジュールママ!】
だった。
(注:これは昭和50年代に一世を風靡したアニメ、【おはようスパンク】 のお決まりのオープニングナレーション。
スパンクという犬というにはあまりにも不自然な風貌に、当時の子供達の心は鷲掴みにされた。
犬のクセにしゃべって2本足で歩くのはいいとして、だっさいオーバーオールを着てるのもまあいいとして、肝心の顔が中途半端にかわいくなかった。
犬に見える要素を見つけるほうが難しい風貌だった。)
しかもご丁寧に、その一言の後にはスパンクのイラスト入り。
傾き加減が違うだけで、まるでトレースしたかのようにおんなじ。
ためしにライトに照らして2つを重ねてみたら、大きさに差があるもののまったく同じだった。
大人になった。母になった。遠く離れた。あの日々から10年たった。
落ち着いた生活の中にあの嵐のような日々を思い出すと少し寂しくなることもあるけれど。
いまもこんなところに変わらぬ彼女がひょっこり顔をのぞかせている。
# 月経 [ブライアン・メイもこんな気持ちだったのかなあ。]
# (・ε・) [こうなったら歩くたびに何和音も出る細工してもらえばよかった。]
# (・e・) [お父ちゃん超人的にオンチだから、そのジャンルだけはムリ。]
# まわりゅ [や、僕の子供の頃にもありましたよ! 竹馬ブーム! 僕も、今は亡き父に勝ってもらった覚えがあります。 ステンレス製の奴..]
# (・ε・) [あとホッピングブームもありましたよ。ジャンプして近所の柿の実をこっそりとってやろうと企んで誕生日に買ってもらったんだ..]