チナウ
2003-04-11 (金) 反省します。
■ ジロウくん教えて。(←猿)
ウチの母ヨシコは、ハッキリ言ってあまり頭がよくない。
すごく単純で、スグきーきー怒ったり、スグ機嫌がよくなったり、スグ泣いたりと忙しい。
いつも私達兄弟に泣かされていた。親の癖に。
でも30分もしたら機嫌が直る。見計らって謝るとたいていの事は許してくれる。
だってお母さんだもんが口癖だ。ナニソレ。
基本的に。本当にいつも笑っている。
笑い上戸みたいで、人と話していても一人大ウケして笑っている。
もともと8人兄弟の末っ子に生まれ、両親と兄・姉達から甘やかされまくって育った。
就職し、初めて好きになった人と結婚した。
フリルとお花がダイスキで、トイレには7人の小人の人形がかざってある。
私の部屋は半強制的にピンクの小花の散った壁紙にされ、小物は赤っぽい色で統一された。
末っ子特有の人懐っこさで、私の友人たちが遊びに来ると、すぐ話の輪に加わりたがり、
人一倍ウケてよく笑った。
化粧品屋ということもあり、友達が来ると色々在庫の化粧品を出してきては、
ユカちゃんにはこの色が似合うよとか、聞いてもいないのにアドバイスしてお土産にしてしまう。
アンパンマンのような丸い愛嬌のある顔も手伝って、我母ヨシコは友人たちの間でも大好評だった。
昼間うちの店には、毎日のように近所の奥様連中が、入れ替わり立ち代り遊びに来る。
商店街の、小さくてちっぽけなオアシスみたいだ。
彼女はいつも、私が好きになる人を精一杯好きになろうとしてくれた。
友人も。恋人も。
大学時代の彼氏はうちの家によく遊びに来た。
彼女と彼はスグ仲良くなった。
私と彼が別れるとき、私以上に彼女は泣いた。私は自分が言い出したことだから、ぜんぜん辛くなかった。
その後彼も仕事でうちの近所を通るときは、必ずお土産を持って現れ、私の知らないところで立ち話をして帰っていくほどだった。
尊敬はされないが。
イヤ、どちらかといえばなめられているが。
それでも皆から愛される母が私はダイスキだ。
先日親戚の結婚式のため里帰りしていた熊本で、彼女は生まれて初めて倒れた。
健康だけがとりえだったから、自分でもビックリしていた。
ここ10何年、カゼ一つひいたことがない。
お店をはじめて、一度も病気で休んだ事が無い。
それだけが自慢の人だったから、それはそれは驚いただろう。
私も驚いた。
結果は過労らしい。
念のため今度頭も検査するらしい。
ホラ、あの脳みそを輪切りにしたようなヤツよと無邪気に言っていた。
泣けた。
今年に入ってからの2ヶ月、彼女は人生で一番泣きつづけたといっていた。
瞬発力なら、末の弟のユウスケが18才で東京に出たときらしい。
その時は1週間枯れることなく泣きつづけた。
今回は思い出しては泣き、思い出しては泣きを続けていた。
それでも私には、スグに今回の婚約の事は諦めるから。あちらに失礼のないようにしなさい。
何よりも幸せになりなさい。応援します。
父より先に吹っ切って、そういってくれた。
彼女自身が気が付かないところで疲労はたまっていたらしい。
わんわん泣く私に満足げに、大丈夫よ、ママは強いから。お母さんだからといっていた。
かあちゃん、それ意味わかんねぇよ。
そして検査を受けた病院で、幼馴染の友人が1ヶ月になる息子を抱いていた事をちゃっかり報告してきた。
どんなときでもプレッシャーをかけることを忘れない。そんな母ヨシコ。
強くなったなお前。
ユウスケからメールが届いた。
留守電にこれでも読みやがれと捨て台詞が入っていた。
ユウちゃんへ
明日からタミちゃんの結婚式のため、熊本に帰りまーす \(^。^)/
久しぶりなのですごく楽しみです。
お母さんにはもうお父さんもお母さんもいないので、
もう熊本のお家はやっぱり少し帰りづらいです。
だからお母さんも100歳まで生きて、ユウちゃんやお姉ちゃんが何かあってもスグかえってこれるお家にしておきますね。
いつでも帰れると思うと、東京にいても気楽でしょ?
がんばるからね。
熊本に帰ったらお姉さんたちが温泉に連れて行ってくれるそうです。
兄姉っていいもんでしょ。お母さん本当にそう思います。
だからユウちゃんも、お兄ちゃんお姉ちゃんと仲良くね。
今回お姉ちゃん色々あったけど、責めちゃだめよ。
ユウちゃんは優しいけれど、少しキツイところがあるからね。
兄弟仲良く。これが一番の親孝行ですよ。
それでは行ってきます。
その間お父さんは一人でお留守番です。ウシシシ。\(^。^)/
楽しんできますね。
ユウちゃんも体には気をつけて、バイク、気をつけてね。
お母さんより。
追伸:残念ながらお土産はナシです。ウシシ。
・・・なんてタイムリーな・・・
顔文字の使いかたおかしくね?
つかウシシて・・・。
私たちの周りでは親が倒れたなんて話しょっちゅうあって。
ああ、もうそういう年なんだなと覚悟していたはずなのに。
しかも今回確実に心労掛けまくったのは私で。
みっともないほど取り乱してしまいました。
「お母さん死んだらトモも生きていいけないよ〜・・・」
とか電話口で思わず弱音を吐いてしまいました。
「いや、嬉しいけど30過ぎて言うせりふじゃないでしょ。しっかりなさい。」
冷静じゃん。ぎゃふん。
今お母さんに死なれたら、もう申し訳なさ過ぎてと思ったら涙が止まらず、
私のせいでお父さんまで独りぼっちになっちゃったらと思うとさらに泣けてきて。
当の本人は泣く私に大変満足げに、
大丈夫よ。お母さんだから。と誇らしげに言っていました。
かあちゃん、だからそれ意味わかんねぇよ。
お母さんごめんね。
もっといい子になるようがんばるよ。ホントホント。
夜寝る前も色んなことを思い出して、がらにも泣く涙ぐんでしまいました。
強くならないと。
でもやっぱり今日も遅刻しました。
だめじゃん。
# スーハニ [お母さんのお話、泣けて来ました。親が歳をとっていくのって切ない。]
# (・ε・) [パパさんのほうも会うたんびに小さくなっていってるらしいよ。久しぶりに会うとびっくりするらしいよ。]
# (・e・) [あのね。干したアンズに似てくるんだって。ナニソレ。]