チナウ
2002-05-22 (水) 不確かで鮮明でグロテスクで繊細な記憶。
■ 人はどんな記憶がより深く刻まれるのか。
私が覚えている一番古い記憶。
それはテレビの中で、泣き叫ぶ女の人を男の人が灰色のブロックのようなもので殴って殺し、
ズタ袋のようなものに詰め、川に捨てるシーンだった。
川沿いにゆらゆらと柳がゆれて、息を乱し汗を掻く男の頬をなでている。
イキナリ殴っているところから記憶が始まり、
そこで母親がこんなのみちゃだめよとあわててTVを消したところで、
わたしははじめて目の前にケーキがあるのに気が付いた。
まだ昼で、実家は化粧品屋をやっていたため、美容部員のおねえさんと母親が、
ニコニコ私を見つめながらプレゼントをくれた。
昔のタイプライターのような形のボタンのついたおもちゃのレジだ。
これが私の最も古い記憶であり、恐らく一番古い記憶の誕生日プレゼントだ。
弟の姿が見えないので、おそらく2歳くらいだろう。
もらったプレゼントもケーキもぼんやりしか覚えていないが、
泣き叫ぶ女の顔と、怖い顔をして息を切らした男の人。
そしてなによりゆらゆらゆれる柳と、ぼちゃんと音を立てて川底に吸い込まれるズタ袋を鮮明に覚えている。
もう少し大きくなって、柳の下には幽霊が出るという話を聞いたとき、
幽霊より鬼のほうが似合うと思ったのは恐らくこの一番古い記憶からだろう。
それから1年も経たないか、もしくは前の誕生日と前後しているかもしれないが、
とにかく私が3歳になる前に母方の祖母がなくなった。
2年ほど経ってからそのときの話しになり、私が玄関のマットの柄や祖母の枕の方向、
火葬場の前に大きな川が流れていたことを絵に描いて説明して両親を驚かせた。
火葬場の前に流れていた川は特に良く覚えている。
祖母が空に帰るまで、私達は待合室にいた。
まだ幼いいとこたちは、たちまちプロレスごっこで暴れ出した。
一番幼かった私は母のお兄さんに抱かれて川を見に行った。
天気の良い日で水面はきらきらとまぶしいほどだった。
ばしゃんと大きな音がした。
川の中から平べったい形の良い魚がゆっくりと弧を描くように跳ね、その背中にサンタのような袋を担ぎ着物を着た笑顔の小人が乗っていた。
これまた大きくなってその魚が鯛ににていて、背中に乗っていた人は紛れもなく戎さんだった事を知る。
年をとるにつれますますそのときの光景が鮮明に残り、でも子供の思い込みだろうと思いながら母に笑い話のように言うと、
その幼い日、私は母のお兄さんの腕の中で、確かに川に向かってお魚に人が乗っているというようなことをうったえたらしい。
お兄さんは、きっと祖母が極楽へ行ったのだと母に言った。
私はでかい仏像や、石膏でできた巨大な像や建物が嫌いだ。
それには理由がある。
実家の家の裏には全7棟ある団地があった。
その団地は子供が好きそうないろいろな噂話が満ちていた。
2号棟の2の数字の下にできた巨大なしみは、チューリップの中に髪をかきあげる女の後姿があるようにも見えたし、
長い髪から恨めしげに覗く女の首のようにも見えた。
7号棟はしょっちゅう救急車や亡くなる人がいたので呪いの棟だと一番恐れられていた。
なんてことはない、7号棟には御年よりや体の弱い人が優先して入れる棟だったためその確立が上がっただけだった。
しかし、団地の中にあった石膏でできた巨大な案内図には、
何度新しく描きなおしても7号棟の上だけに、大きくて黒い渦のようなカビが生えていた。
私は幼い頃から怖い夢をよく見た。
何度も何度も同じ夢を見つづけたことがある。
いつも内容は判で押されたように決まっていて狂いがなかった。
私がいきなり家の階段を落ちるところから始まり、一瞬真っ暗になる。
その後ろうそくのような光がじわじわとあたりを満たしていくと、
見渡す限りの何百という蝋燭と遺影が並んでいる。
いつもそこで目が覚める。
何度も同じ夢を見るので、私は夢というものは同じものを何度も見れるものだと信じていたが、
実は同じ夢、判で押したように正確に同じ夢はほとんど見ないということは、言うまでもなく皆さんも良くご存知だと思う。
夢はいつもカラーだった。
白黒の夢を見たことがないような気がする。
そして最近思うことがあるのだが、
ひょっとすると私は前世で階段から落ちて死んだのか、
それとも階段から落ちて死ぬ運命なのではないかとふと思うときがある。
そんなある日、やっぱり私は怖い夢を見た。
忘れもしない小学校4年生のときだ。
怖い夢というのは見始めたあたりからなんだか雰囲気で分る。
空はどんよりとうす紫。
私は家のすぐ裏手にある、団地につづく細い階段をのぼっている。
確かに生暖かい風を感じた。
空気が固体のようによどんでいたのをハッキリ覚えている。
私は空を見上げる。
団地を覆い尽くすような巨大な石像が、空に手を広げ、こちらをみながらゆっくりゆれている。
片足は、あの団地の案内図から生えている。
5階建ての団地が腰の位置よりも低い。
その恐怖。瞳のない石像の目が確かにこちらを見ている。
そしてなにより恐ろしかったのは、
その石像が揺らしていた手は足で、大地を踏みしめていた足が手だった。
手足がさかさまないびつな石像は、無表情にゆれていた。
翌日さっそく一番仲の良かった鈴木さんにその話をした。
彼女は団地に住んでいたので、必然的にいつも遊ぶのは団地の中の公園だった。
私は案内図のあたりで身振り手振りで力説したが、鈴木さんはいまいちピンときてないようで、
私が求めているテンションはえられなかった。
がっかりしながらも、私は近くに生えている雑草の花をむしった。
手が青臭く汚れたので、団地の案内図に擦り付けていて、ぎょっとした。
その案内図、石膏でできた柱のところに、
誰かが落書きしたのだろう、へたくそな人形のような絵があった。
その絵は稚拙さからか、手も足も見分けがつかず、さかさまにすら見えた。
鈴木さんが言った。
「あ、この案内図汚したらあかんで。7号棟みたいに呪われるんやって。」
怖いというより頭が真っ白になった。
子供の頃の記憶はあいまいで、でも時折人生にピンスポットを当てたように、
部分部分鮮明に覚えている。
その部分を無意識のうちに編集したのかもしれない。
でも今でも思い出すだけで鳥肌が立つ。
私には霊感というものがまったくない。
霊を信じていないわけじゃない。
今ここにある意思、魂はどこに行くのかと考えると、そおいう世界へ行くというのもありえなくはないとも思う。
でもそうたやすく出るものでもないと思う。
私は怖い話しがなぜか子供の頃からダイスキで、ものすごく沢山知っていた。
そのせいでこんな記憶がるのかもしれない。
でも一番怖いのはやはり生きている人間の心の奥にある。
これは本当に思う。
だから人間には理性とか、優しさとか、そんなモノでふたをしている。
でもたまにそんなふたが軽い人や、壊れている人、サイズの違う人なんかもいる。
そんな人に遭遇したとき、幽霊話にも負けない恐怖がやってくるわけだが、
こんな話を思い出して今日は自分で怖くなってきたのでもう寝ます。
そんな話はまた後日。