チナウ


2002-12-14 (土) 結納しようが何しようが。こんなもんだ。

ぎゃーーーー。やらりたーーー。

本日は初めての方とも飲む機会がございまして。

そして宴もたけなわ、後半にさしかかったとき一人の男性が遅れて到着いたしました。

もちろんその方もはじめてみる人でした。

ぶっちゃけ男前でもなんでもない。そんな方なのですが。

隣リあわせに座る時間ができた時のことです。

そのかた。皆の話しをハハハハとか笑いながら聞いてるんですけど、

ちっとも目は人の事を見ていないと言うか。すごく愛想がいいくせに誰の事も興味がなさそうな。

色素が薄くて、深い深い瞳。これは要注意。

一言二言挨拶した後、皆とわいわい話してたんですよ。

10分ほどたった後ふと目が合ったんですよ。

そのとき初めて私の存在に気が付いた、そんな不思議そうな目をしながら一言。



「あんた・・・。エロい顔してるね。」



ガツーーーーン・・・・・。ホエエエエエエ。



くらった・・・。くらいましたよ・・・。

たまにいますよね。

男前でも美人でもなんでもない。フッツーの顔してるのに。妙にフェロモンが溢れてる人。

あれですよ。あれ。つか。



妊娠するかと思いましたよ。



そして当の本人はその発言をし終わるくらいからまた私に興味なんかまったくなくなった目をしてるんですよ。

つか・・・もう・・・抱いて!!!みたいな。

しかしそこはワタクシも多少は人生を積み重ねてきた女。

このてのタイプには妖怪アンテナが立つんですよ。ヲイ!キタロウ!アマリチカヅクンヂャナイ!!

そして2次会カラオケですよ。

そしたらそのフェロモン君。私の思い出の歌を・・・メモリーソングを・・・・・

その曲、有名ミュージシャンの歌なのですが、そのミュージシャンはもっとヒットした歌が2曲ほどあって、

その歌事態はあーあったかもーぐらいの曲なんですよ。

でも歌詞がエロくて。だらしなくて。せつなくて。私ダイスキだったんですよ。

それをさらっと、つまらなさそうに歌いやがったんですよ。うまかったんですよ。



あああああ。



恋に落ちたカモ。(←簡単。)



もちろんそんなのにかかわっても絶対幸せになれないので、

連絡先も交換せずとっとと逃げて帰ってきました。

イヤ、マジで。

逃げるが勝ちよ。



本当に本当に美味しいものは

本当に本当につらいものと紙一重ですからね。

ひょっとすると一緒かもしれませんしね。



おーコワッ。



恋文

あの日の私はむしろはしゃいでいた。

転校していった友達や、離れ離れの学校になった友達に会えたからだ。

騒ぐ私につられて、周りの友人たちも笑っていた。

当たり前だ。私が笑わせるようなことばかり言ってたからだ。

その日は雨。それは涙雨とかそんなレベルの雨じゃなくて、むしろ怒りの嵐のようだった。

そんな雨も、周りの景色も私の目には入らなかった。

私はいつまでもいつまでもはしゃぎ続けていた。



私が小学校1年生の頃、学校は遠くにしかなかった。

私の家はちょうどAとB2つの学校の校区の境目にあって、一番遠いところからかよう子供たちだった。

私の通うA小学校まで毎朝歩いて30分。

築100年近く経つ、怪談話の絶えない古い学校だった。

私の家の目の前の道を境に、B小学校に通う幼馴染もいた。

B小学校はA小学校に比べてずっときれいで羨ましかった。

私が2年生に上がるとき、家から歩いて5分の位置に新しくC小学校が出来た。

AとB二つの小学校から生徒を集めてC小学校の新学期はスタートした。

モチロン私は新しい小学校へ。

歩いて5分、怖いお化けもまだ出来ていなかった。



AB2つの小学校から生徒が集められてくるわけだから、自然とグループが別れる。

A小学校から来るほうが少数だったが、私は幸い境目に住んでいたので、B小学校へ行った幼馴染も多くすぐ馴染んだ。

その2年生の新しい学校の、新しいクラスで、

A小学校で同じクラスだったタツシ君と一緒になった。

私には他にも幼馴染がいたが、タツシ君にとって私はかず少ない知り合いのうちの一人だったのだろう。

1年生のときはあまり話さなかったのに、私たちは急激に仲良くなった。

幼馴染が全て男の子だった山猿のような私と違って、タツシ君はもう少しおとなしかった。

それでも日曜日は遊ぼうとよく言われた。

午前中はタツシ君と遊んで、午後は幼馴染たちと遊ぶのがほぼ定着した休日のスケジュールだった。

タツシ君と遊ぶときはいつも彼の2歳上のお兄ちゃんも一緒だった。

私たち3人は意味もなくジャングルジムに登ったり、ビー球で遊んだりした。



その日も私たちは道路に石灰で絵を書いて遊んでいた。



「おなかがすいたからウチにご飯食べにいこうよ。」



初めてタツシ君の家に行ったときの事は鮮明に覚えている。

いつも遊んでいた団地の中のひと部屋が彼らの家だった。

日曜日なのにタツシ君のお母さんは仕事に行っていていなかった。

家にはお昼ご飯の準備なんかなく、私はきょとんとしていたんだとおもう。



「自分でつくんねん。サンドイッチや。」



タツシ君のお兄ちゃんが、冷蔵庫から材料になりそうなものを片っ端から出した。タツシ君は戸棚から食パンを持ってくる。

私は何だかすごく楽しいような、でも少し寂しいような変な気持ちになりながら、

不恰好に切ったハムを挟んだだけのサンドイッチを作った。

家ではほとんど手伝いをしなかった私なので、お母さんの作るサンドイッチの作り方がさっぱり分からなかった。

やっぱり私の作ったものははまずかった。

見かねてタツシ君が私の分を作ってくれた。

冷凍ハンバーグをチンしてはさんだだけのやっぱり不恰好なサンドイッチだったが、

私のよりはるかに美味しく、私より手馴れていた。

その時まで冷凍ハンバーグなんて、存在自体知らなかった。

食べていて初めて隣の部屋から小さくテレビの音が漏れているのに気が付いた。

少しあいた襖から中を覗くと、男の人がだらりとねそべっていた。

背中を向けていたので顔は分からないけど、すぐにタツシ君のお父さんだと分かった。

大きな一升瓶と散らかった部屋。

テレビによく出てきそうなシーンになんだかどきどきして、私はすぐに家から出てきてしまった。

その日以来、誘われても私はなぜかタツシ君の家には行かなくなった。

家に行かなくても私たちの仲は良好で、相変わらず日曜日の昼前はタツシ君達と3人で遊んだ。



翌年の正月、1月3日。

私達兄弟は父親と近所の河原に凧上げに行くことにした。

おのおの凧以外の遊び道具も父の車に運び込んでいた。



「トモちゃん。」



呼ばれて振りかえった。タツシ君だ。

その後ろにはお兄ちゃんと、そしてお父さんも一緒だった。

この前見た後姿と全然違って、タツシ君のお父さんはとても優しそうな穏やかな人だった。

お父さん同士で新年の挨拶をにこやかにしていたのがなんだか不思議にうれしかった。



「トモちゃんどこいくのん?」



「川に凧上げに行くねん。」



その後タツシ君もうれしそうにどこかへ行くと言っていたが、それはどこだったか忘れてしまった。

散歩だとか、なんかそんな内容だった。

あけましておめでとう、ことしもよろしく、またしんがっきにね。

私達は大人のまねをして、新年の挨拶をはしゃぐようになぞりあって別れた。

私達はすごく幸せで、そんな私達に負けないくらい3人の親子は幸せそうだった。



新学期、タツシ君は学校にこなかった。



どうやら学校の友達では私達親子が最後の目撃者だったらしい。

良く覚えていないが家にもその日の事を聞きに警察が来た。

私も先生にあの日の事を聞かれたから、得意げに話した。

覚えている限り、細かく再現した。

人がいなくなるということがまだよく分っていなかった。



    おじいちゃんが突然倒れてなくなった。

    お父さんはショックで病気になった。

    お母さんは必死で働いた。

    お父さんはとうとうノイローゼになった。

    ショックで、発作的に、2人の息子を連れて、そして、そして、



     

    いったいどこへ。



 

所持金は1万円ほどだったらしい。

真冬の空の下。タツシ君たちの幸せそうな穏やかな笑顔しか知らない。

みんななにをいっているのだろう、いちまんえんあれば、だいじょうぶじゃないの?



その夜夢を見た。

タツシ君が私に会いに来た。

大丈夫なの?ってきいたら、いちまんえんあるからだいじょうぶだっていってた。

ほら、だいじょうぶだったじゃないか。

ご飯食べてるのってきいたら、毎日あんぱんたべてるっていってた。

あんぱんは50えんだから、だから、おかねなくならないね。

私はとても安心して、次の朝お母さんに教えてあげた。



大丈夫だよ。まいにちあんぱんたべても、いちまんえんはなかなかなくならないよ。

よるはこうえんでねてるんだよ。だいじょうぶだよ。



真冬の朝、温かい部屋で私はそう言った。



タツシ君のお母さんはテレビの公開捜査にも出た。

私の知っているタツシ君の顔がテレビで流れて、学校で彼は有名人になった。

でも子供の話題はサイクルが早くて、1週間もたつと私達はタツシくんに興味をなくした。

タツシ君のお母さんは保険の営業をしていたがやめ、毎日あちこちを探し回っていた。

私達はやって来る春休み、新学期、遠足、夏休み、運動会。

毎日のわくわくに気を取られてすっかり忘れていた。



夏が終わり、秋も終わり、運動会も終わり、音楽会の練習をしていた。

空気がきんと張り出した寒い朝。

全校朝礼があった。

校庭にならんで、やすめのたいせいで、はやくおわらないかとまわりの友達とコソコソ話しているときに、校長先生が厳かに言った。

すみきった高い空。先生の声がマイクを通して空に溶けて行くように。



    タツシ君がみつかりました。



ああもういちまんえんがなくなったのかなと私はぼんやりおもった。

前日の、寒い日の朝。

荒波の中漁をしていた淡路島の漁師たち。

その網に、タツシ君はひっかかった。

お父さんとお兄さんはみつからない。タツシ君だけが、戻ってきた。

あのあたりは潮の流の関係でめったにそんな事はないらしい。

なのにタツシ君の小さな体は、男たちが引き上げる網の中に包まれるようにひっかかっていた。



御葬式にはAB小学校からたくさんの友達が参列した。

引っ越して行った友達も帰ってきた。

集められた私達は興奮して、キャーキャーと騒ぎ立てた。

そんな私達を見て大人達は、子供は何もわかっていないから無邪気なものだとまた涙を流した。

分っていた。もうタツシ君がいないということを。

別れの挨拶を読む子の原稿を私達は見ながら、

さようならタツシ君、もう会えないねという一節に、

死んでしまったんだから会えないのは当然だと茶化していたほどだ。



騒ぎながらもぼんやりと、ああ私は家に帰ったらあとで反省するんだろうなとおもっていた。



でもその時はみんなにあえて興奮していて、そんな事はどうでもよかった。

私の中で友達だったタツシ君の記憶は、確実に薄れてしまっていた。

親しい人の死をハッキリ意識しながら、

それでも私ははしゃいでいたんだ。



    大人になれなかったあなたと大人になってしまった私。

    私たちを結ぶ記憶はもうあの日のサンドイッチしかなくて。そしてそれはすごくぶかっこうで。

    楽しいような、寂しいような。

    後は私の一方的な後味の悪い思い出。

    それもあなたは知っているのでしょうか。

    大人になった私は実はあの頃からあまり変わってなくて、結構平気で人を傷付けたりしているようです。

    私が学習したことといえば、人は1万円だけでは生きていけない。

    毎日アンパンをかじったって生きていけない。

    ねえタツシ君。私本当はちっとも心配してなかったの。

    口ではどこいっちゃったんだろうねって言ってたけど、本当は私毎日が楽しくてそれどころじゃなかったの。

    後何十年かたって、私もあなたのいる世界に行くことになっても、

    私たちはもう会えないような気がします。

    きっと私はあなたのいるところへはいけない気がします。

    正直言って、もう一度会いたいのかと聞かれると私はわからないと答えるでしょう。

    むしろあのお別れの日が記憶にある限り、私はあなたに合わせる顔がありません。



卒業アルバムの中にはタツシ君の顔を見つけることができません。

大人の配慮か、一緒にいた時間がみじかかったからなのか。

わずかに感じられるのは、小さく写った遠足での集合写真。

それすらもページの隅に、ちいさくちいさく編集されて。

残された気配は図書室に。

タツシ君のお母さんが、学校に何冊かの本を寄付しました。

それが今も図書室の一角に、タツシ文庫という名で残されています。

残された本は、辛い逆境から立ち直って幸せな生活を送る主人公達の、

そんな暖かで有名な童話達が肩を並べています。

私達はほとんど読みませんでした。

その本を手に取るのは、ちょうど、タツシ君がいなくなった時くらいの年頃の、

幼い後輩たちでした。

そしてタツシ君のお母さんも、私たちの町を去ったのでした。



子供というのは世間で言うほど無邪気でいたいけなばかりじゃなくて。

子供はずるがしこくてバカじゃないと思っていたのがこの年になってその愚かさに気が付いたり。

答えを求めたり、後悔したり、結論を出そうとしているんじゃなくて、ただふと思い出すだけの行為。

道を歩いていると小学校から太鼓や木琴、カスタネットやトライアングルの音が流れてきて。

走り去る子供のランドセルから縦笛が顔を出していて。

ああ、そうだ、こんな季節だったとぼんやり思い出しました。

そして今の私はあの頃の私達よりむしろ、

タツシ君のお母さんに近付きました。

あの日のタツシ君のお母さん、背中を丸めて小さくて、小さくて。

思い出すだけで胸が張り裂けそうになる。



知らないと言う事は愚かな事で、無邪気とか純粋とか、そおいうことばは実はあまり好きじゃなかった。

私のやった事に傷ついた人は今まで何人もいたと思うし、その事実はきっとずっと消えないと思う。

それに対して私が償なえることなんておそらくないだろう。

誰かを救う事なんてできないのに、人を傷つけることはこんなにも簡単で。

私はきっと人を傷つけたバツに見えない傷が自分にできていて、それが体を覆い尽くすと死ぬのかもしれない。

そうやって自分の寿命が決まるんじゃないかとぼんやりと思った。

あのときの事を謝りたいとか償いたいとか、そんな事は相手に対して何も解決にならないかもしれないから。

だから神様、そうしてください。

許して欲しいなんてムシのいいことは言いません。償えるだなんて思いあがりもおこしません。

だから、だから。



    私の体にある無数の傷。

    あなたにはそれが見えますか。

    私をかたどるその醜い虚像と現実。置いてけぼりにしてきたたくさんの過去。

    でもね、本当はそんなものに惹かれるでしょう?



    戻らない時間と重圧に。多分私はもう一人では生きて行けない。

    だからいっしょに。



さあ。





お願い。そばにいて。







本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

# しぎたに [Moon Child の「微熱」が思い浮かんだんですが…]

# ko [コレ? http://grapevin.hp.infoseek.co.jp/script/mlrb09.htm]

# (・e・) [ブブー。チナウチム。でも恥ずかしいから秘密チム。この曲もステキそうなのね。「微熱」っていうタイトルがツボなのね。]


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