チナウ
2005-06-08 (水) 君といる人生という名の楽園
■ ぼくのたからもの。
うちの父親は前にも書いた事があるが、当時お母さんを妹のようなものという建前で隠しセカンドとしてキープ、結婚適齢期を迎え焦る本命を焦らしつづけ、結局本命が見合いをしに田舎に帰ったのをきっかけにお母さんを彼女に格上げした挙句、今彼女と所帯もって独立するなら協力すると上司に言われあっさり結婚した、色んな意味で野心家で自分勝手な男だ。
私が生まれ、野心家だった父はものすごいマイホームパパとなり、今は貧乏ながらも平和に暮らしている。
お父さんの視点から見ればこれは一人の男の計算と成功、そして苦境の物語となるが、これがお母さんの視点から見ると、きっと大恋愛というドラマになるのだろう。
高校の頃、私とユカ、キョウちゃんに加え、イシザキという大変仲の良い友人が居た。
日本的な顔立ちながら、すらりと伸びた手足やすけるような白い肌、手を加えていない天然のサラサラ茶髪は、どこか日本人離れした風貌だった。
本人は米よりパンをこよなく愛し、パンばっかり食べてるから外人みたいになったにちがいないとキョウちゃんが小学生レベルな決めつけをしたが、なんとなく皆その意見に納得していた。
イシザキはどちらかというと控えめな性格ながらも芯の通った頑固者といった所だったが、彼女の家に遊びに行った時、母親の華やかで賑やかな性格に驚いた。
イシザキそっくりの日本人離れしたスタイルの上に、明るい色でかるくウェーブのかかった長い髪に包まれた、華やかで整った顔が乗っていた。
何度も私たちの部屋に顔を出し笑顔を振り撒き、広いベランダに集まる鳥達に楽しげに餌を与え、歌うように陽気な声でケーキが焼けたことを知らせてくれた。
リビングには家族の写真が。
華やかなお母さんが寄り添う男性は、とても小柄でどちらかというと野暮ったくて、加藤茶扮する日本伝統のお父さんを少し気弱にしたような感じだった。
写真の中で自然体に映っているイシザキのお父さんは、女優のように艶然と微笑むお母さんと対照的に質素な感じがした。
この面白いほど真逆な2人はどうやって知り合ったのだろう。見合いか?
そんな私の質問にイシザキは寂しそうに、その話をするとお父さんがかわいそうで胸が苦しくなると、写真の前に置かれた小さく古びたオルゴールを弄びながらつぶやいた。
若かりし頃のイシザキのお母さんは、今にもまして華やかで、派手で、神戸元町界隈をブイブイグリグリいわせていた。
いつも彼女は取りまきを引き連れ、夜な夜な飲み歩いては流行りのクラブでダンシンな夜を過ごした。
ある日、いつもは行かない少しやぼった目のクラブで躍りつかれて飲んでいると、自分をじっと見つめる男性に気が付いた。
彼は目が合うと真っ直ぐ彼女のもとに歩み寄り、「きれいで見とれてしまいました。お話していただけませんか。」と、大音量の中でも聞こえるような声ではっきりと告げた。
ざっと見るとこのやぼった目のクラブからも更に浮くダサダサな男だったが、自分の周りに居ないタイプだったのでめずらしくなり、からかい半分彼女はその男性と話しはじめた。
普段はこんなところに来る勇気が無いけど、今日は新しい事を始めた日でお酒も飲んで勢いでやってきたとか、でもどうしていいかわからなくて困っていたとか、朴訥な彼が彼女を真っ直ぐ見つめ一生懸命話すのを、彼女は酔いの回った目でぼんやり見つめた。
そのうちこの退屈な会話にも飽きてしまい、彼女は帰ると彼に告げた。
彼は又会いたいと、驚くほど強く真剣に言った。
そんな気はサラサラ無かった彼女だが、酔いの回った勢いで、1週間後が誕生日だからその日ココに来ると言った。
そしてそのままその約束は忘れた。彼女の誕生日は半年以上も先だった。
若く楽しい時間は瞬く間に過ぎる。
彼女はまたあの店に何気なく立ち寄った。本当に偶然なのだが、それはあの野暮ったい男性と話したちょうどキッチリ1年後だった。
やっぱり酔っ払っていた彼女は踊りつかれて座った視線の先に、あの日の男性が座っていたことにまったく気がつかなかった。
彼は真っ直ぐ彼女のもとにやって来た。それでも彼女は最初それが誰だかわからなかった。
偶然だねと声をかけられあの日のことを語りかけられ、ようやく思い出した彼女は破った約束の事なんかもまったくきにもせず、アラお久しぶりと悠然と微笑んで見せた。そして何事も無かったように和やかに談笑したが、彼がお手洗いで席を外した時顔見知りの男性がそばに飛んで来て、あいつやバイ奴だよと教えてくれた。
なんでも1年程前、似合わないスーツをかっちり着込み、大きなバラの花束を抱え、この店の開店から閉店までずっと、じっと座ってひたすら時計を見つめていたらしい。その異様な光景に、彼は店で一躍有名人になった。
それ以来彼は毎日のようにこの店に顔を出し、誰とも親しくはならなかったがすっかり常連となっていた。
彼女は驚いた。戻ってきた彼に、アナタそうだったの?と聞くと、彼は少し照れながら、いや、誕生日にこれを渡したかっただけなんだよと彼女に小さなオルゴールを手渡した。
やっぱりやぼったい、ダサくてゴテゴテした安っぽいデザインだったが、チンチロリンとチープにかなでられる曲に、なぜかだか心が癒された。
その後数回デートを重ね、彼が彼女に異例のスピードでプロポーズ。
周囲の予想を大きく裏切り彼女はアッサリOK。
そして数年たち、2人の間に2人の娘が加わり、また数年後、お年頃になった娘になぜお父さんと結婚したのと聞かれ素直に全てを話し、どうしてプロポーズを受けたのかという質問に対しては鮮やかに微笑んでみせるだけで、いまだにその謎は解明されていないらしい。
男と女の間には、他人には踏み込めない世界がある。
大学時代のグループで、一番の才女で美人だったクミが、神戸の大きな会社に就職が決まった。
どっかで聞いた事があるなと思っていたが、よくよく聞くとイシザキのお父さんの会社だった。
イシザキは社名を普通に言っていたのでクミのいう社命を聞いてピンとくるのに時間がかかったが、なんてことない、イシザキから音として聞いた社命は勝手に私の頭の中でカタカナ変換されていたが、クミが差し出した名刺には社名がアルファベットで表記され、社名の後にグループと記され、その会社が小さな中小企業とは違う事を物語っていた。
クミの会社の名前は女子なら誰でも聞いた事のある会社で、まさかその会社全てがイシザキのお父さんのものではないと思ったのだが、クミが見た社長とイシザキのお父さんの風貌があまりにも一致する為イシザキに聞いたところ、いや、今はもう社長を退いて甥に譲り、いまは会長の座に落ち着いているとのことだった。
クミが社長を見たのは5年勤めてたったの2度だけで、最初は入社式の日遠くの壇上に現れ、サクっと挨拶だけしてあっさり去ったらしい。2回目は会社の巨大倉庫に訪れた時、倉庫の奥からひょろりとした貧乏臭い小柄な中年男性が、ママチャリに乗りながらユラリと現れた。
警備のおじさんが遊んでいるのかと眉をひそめたクミの隣で、先輩社員が直立不動で「おつかれさまです!!」と大声で挨拶をした。
「あいよー」と言いながら、またユラリと自転車をUターンさせ倉庫の暗闇に消えていった作業着の男性、それは数年前スーツで壇上に現れた社長その人だった。
会社を立ち上げた時イシザキのお母さんに出会い、その後1年間まだまだ軌道に乗らない会社から出た収入は、夜一目ぼれした彼女を待つための店に消えた。
結婚後小さな間取りの2LDK賃貸につましく暮らし、それでもベランダが異様に広かったのを愛する妻が気に入り、手狭になっても引越さず想い出に溢れた家庭になった。
地震をきっかけに神戸の一等地に大邸宅を構えるも、イシザキがすでに東京に出てきた後で、今更愛着はもてず彼女は放浪の旅人となった。
父の唯一の趣味は時計集めで、大邸宅に3畳ほどの小さな部屋を作りお気に入りのものだけを運び込んだ。小さな部屋に所狭しと並べられた時計に囲まれ、彼はゆったりと一日を過ごす。
父親の会社に入社し絵に描いたような腰掛けOLを満喫していた姉が、質素な父のためにカッシーナで買い求めたすわり心地の良い高価なロングチェアーを、その時計だらけの小さな城にプレゼントしたが、いまだに彼は妻となった愛する女性が、独身時代部屋に置いていた小さな2人掛けのソファアに丸まって、子猫のように居眠りをするのがお気に入りらしい。
残念ながらあのオルゴールは壊れてしまったが、今も小さな城の一等地に静かに鎮座している。