チナウ


2003-03-23 (日) すごく昔の話なので、少し記憶違いがあるかもしれません。 [長年日記]

そして私も人をさらす。



テレビをつけると赤や黄色の光が空を舞っている。

激しくあがる火柱、衝突する人々の意見。

もっともらしく語る対岸の火事の見物者。

私はその人たちよりもっと遠くから、ぼんやりとその光景を眺めている。





私が幼いころ通っていた保育園は、教会が平日だけ町に開放していた場所だった。

料金も安く預かってくれる時間が長いため、商店街の親たちには大変好評で、私のまわりのほとんどの子供が通っていた。

神様に感謝の言葉を捧げて食事をし、清く正しく生きることを誓う。

クリスマスにはキリスト生誕の物語を演じ、イースターにはカラフルなパラフィン紙で包まれたゆで卵をもらった。

日曜日にはその教会へ来るように誘われた。

信仰に無頓着で、子育と商売に振り回されている母親たちは、大いに喜び無料託児所感覚で通わせた。



私が小学校へ上がるころ、教会がその場所を保育園に譲り、そう離れていない場所に移転した。

猫の額ほどの細長い土地に、おもちゃのような小さな2階建ての建物が出現する。

屋根には折れそうな細い十字架。

私たちは変わらず日曜の午前中にはそこへ通った。

その教会では、牧師さんと奥さんと、2人の娘さんが私たちを出迎える。

娘さんは2歳と5歳で、私たちの後をけなげに追ってくるのが可愛い。

牧師さんは色の白い、頼りないけどすごくやさしい先生で、奥さんの洋子先生は大きな声でよく笑う豪快な先生だった。

洋子先生にはよくしかられたっけ。

靴の脱ぎ方が悪いといってはお尻を叩かれ、ケンカをしては両成敗だとゲンコツを食らう。

神様は隣人を愛せといった。暴力はいけないとえらそうなことをいう私たちに、

あとでうんと神様に謝りますと、先生は言いながら豪快に笑う。

そんな洋子先生が大好きだった。



礼拝の時のお話は、いつも牧師さんが話してくれる。

イエス・キリストがいかに慈しみ深い人物か、人間は愚かで、でも正しく生きればきっと神様は見てくれているとか。

そしてそんな慈しみ深いイエスを陥れたのはやっぱり人間で、でも十字架にかけられながらもよみがえったイエスも大工のせがれだった。

そんな話を私たちは御伽噺のように聞いていた。

イエスとその仲間たちが世界を旅する冒険物語。

それによって教えられることもほとんどなく、ただ、愛するということは大切な事なんだとそれだけ覚えている。

ほとんどのお話は忘れてしまった。

そして後に一番覚えている話は、神様の話ではなかった。



洋子先生が年に一度だけ話をするために皆の前に立つ。

その日はお話の前に必ず朗読する聖書もない。

皆で賛美歌を2曲ほど歌った後、おもむろに洋子先生が登場し話し出す。

年に一度。内容は毎年同じ。



終戦記念日に一番近い日曜日に。





洋子先生は広島で生まれた。

そして物心つく前に被爆する。

何とか命を生きながらえ、大切な人たちのほとんどをなくし、命からがら戦後を生き延び。

そしてそこから本当の地獄が始まった。



年に一度。終戦記念日に一番近い日曜日に。



いつのころからか、先生はその日が怖くなた。子供のころは何がなんだかわからなかった。

その日はあまり遠くで遊んではいけないと親から言われる。

近所で遊んでいると、母親が呼びに来る。

家の前には。毎年やってくる黒塗りの大きな車。

母親と先生はその車に乗せられ、毎年同じ場所へ向かう。

建物に着くと、お母さんと別れ、先生は一人で控え室のような場所へ連れて行かれる。

そこで着ているものを全部脱ぐ。もちろん下着も。

控え室の扉を開けると、壁一面が鏡の狭い部屋へ出る。

反対側の壁には、方眼紙のようなメモリが一面に書かれている。

その前に立つ。アナウンスが時折入り、横、後ろ、正面を向くように無機質な声で指示される。

ほんの数分の出来事。

その後また服を着て母親の元に戻り、家まで送り届けられる。

控え室では自分の前後にいる少女とも顔をあわせた。きっと先生のような女性は数人いたのだろう。

その鏡の向こうに、無数の人がいることに気がついたのはいつのころからか。

小学生終わりのころ初潮がはじまった。

中学生になる。高校生になる。

一糸まとわぬ姿で、複数の人の気配のする薄い鏡の前に立つ。

向こうは見えない。見えるのは。

裸でメモリの前に立つ、泣きそうな顔した自分だった。

その地獄は先生が20歳になるまで続いた。



セカイデタダヒトツダケ ゲンバクガオトサレタクニ ニホン

ゲンバクガ ヒトニ アタエルエイキョウ

ヒロシマデ オサナイコロ ヒバクシタショウジョタチ



20歳をすぎて、広島に原爆を落とした、そのアメリカ兵に会うチャンスが来た。





先生は、相手を殺そうと考えた。





思ったよりアメリカのテレビ局の警備は厳しく、先生は凶器を持ち込むことをあきらめた。

せめて、あった瞬間に殴ることくらいできないかと、前日は一睡もできなかった。

何年もうらみ続けたアメリカ兵は、屈強で残忍で、頭が悪いに違いない。

現れた、ガリガリにやせ頭髪がほとんどない男を見て、先生は正直おどろいた。

彼は先生たちを見るなりその場に泣き崩れ、一歩も歩けない状態になった。



ヒロシマニ ゲンバクヲオトシマシタ

シバラクシテ カクニンノタメニ モドッテキマシタ



ヒロシマノマチガ ナクナッテイマシタ



先生は、誰に怒りをぶつけていいかわからず、泣くことすらできなかった。

犠牲者の自分。自分をこんな目に合わせた犠牲者のアメリカ兵。

戦後まったく違った形で悪夢にうなされ。

その想いはいったいどこへ。

そのアメリカ兵の胸に、小さなロザリオが光っていた。



その様子をカメラが放送し続けた。





テレビでは、どこの国が戦争を支持した。反対した。パーセンテージは、全国で反戦デモが。

テレビはどこの国の情報を、そのパーセンテージはいったいどこから。

何が本当で何が嘘か。その映像はどんな場面で撮影されたのか。

私の恩師のテレビ局のプロデューサーが言っていた。

ひとつのインタビューテープにハサミをいれたら。

つなぎ方しだいで、Aと答えているものでもまったく反対のBを支持しているように編集することができる。

それは簡単なことだと言っていた。

そこまで露骨でないにしろ、私はいつも報道を見ながらわからなくなる。

そしていつも考える。

何が正しいか、間違っているかではなく。



誰が笑うのか。

誰が犠牲になるのか。



国レベルの話ではなく。

個人単位の話で。



目を閉じるといつも、あの豪快だった洋子先生の泣き顔が浮かぶ。



年に一度、先生は話すためにみんなの前に立ち、

いつも涙で話せなくなった。

何度も何度も泣いては中断し、ごまかすように照れくさそうに笑い、

そしてまた泣いては話が中断された。

私たちは、きっと先生がアメリカ兵と会ったとき、それをテレビで見ていた視聴者に過ぎないんだ。

先生は自分をさらすことで訴えたかった。

それは自分の意思に関係なく、さらされ続けた先生なりのやり方だった。



服が焼け落ちて裸同然で逃げ回る女の子。

いびつに曲がったわが子を抱き泣き叫ぶ母親。

戦争が始まると、報道カメラマンたちは危険な地へ飛ぶ。

そして本人の意思に関係なく、たくさんの犠牲者が、より効果的にさらされていく。



それで反戦意識が高まれば、その犠牲者たちはうかばれるのか。

それで独裁者をみんなで倒せば、その犠牲者たちはうかばれるのか。



テレビをつければ。

ニヤニヤしながら、攻撃した際の相手へのダメージをおもわせぶりに語る人。

誇らしげに銃をもつ子供を大写しにする番組。

何度も繰り返し流される、飛行機がビルに突っ込む瞬間。

なんだかなーと思いながらも、何もできず、感じているつもりで実は何も感じていない自分に一番ウンザリし。

目をつぶれば見えるはずのない光景が目に浮かぶ。

メモリの前で。小さく泣きじゃくる少女。

それは未来の私かもしれないし。

未来の私たちの子供かもしれない。



何もできずに泣きじゃくっていた少女は、大人になり涙で何かを訴えた。

それは平和という言葉だったり、何かをうらむことすらできなくなった当事者の困惑だったり。

そんな先生を見ている私は、鏡の向こうにいた無数の人間とどこが違うというのだろう。



わからない、なにもしない、それが逃げだということを知っていながら、やっぱりなにも行動を起こせない。

鏡の向こうの住人だった私は、いつか何かの形でメモリの前に立つ立場になるかもしれない。

それは、だれもが。

ひょっとするとアメリカ兵の立場になる可能性だって十分ありうる。





それが戦争というものなんだとぼんやり思った。






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