チナウ
2004-02-12 (木) ぼくらの日常茶飯事。③ [長年日記]
■ 人生に咲く大輪の華。
5才になる孫の千香が私の部屋にやってきた。
小さな手で差し出す包みには、千香の気に入っているねずみのシールが惜しげも無く貼られている。
包みを受け取り丁寧に御礼を言う。千香、ありがとう。
今日はバレンタイン。
還暦をとうに過ぎた私でもそれぐらい知っている。
一歩外を出ればいやというほど町じゅうが騒ぎ、テレビをつければ毎日のようにコマーシャルが流れる。
老いてゆく身に眩しいほど、若い人たちには毎日がお祭りなんだろう。
たった一人の息子は結局一度も家を出ぬまま結婚した。
今は息子家族と私の3人暮らしだ。
私と息子と千香。
妻は8年前、買い物へ行くといったっきり帰ってこなかった。
信号無視のトラックに巻き込まれた。まだ60前の若さだった。
そして千香の母さくらも、千香を産んですぐ不慮の事故で亡くなった。
今は私と息子が、たまに来る私の妹の手を借りながら千香を育てている。
今日も妹と千香が台所で朝から騒がしかったが、私にはチョコのためだということがちゃんと分かっていた。
妻の名は三歌といった。
若い人は年寄りといえばヨネとかそんな名前ばかりだと思っているようだが、三つの歌とかく綺麗な名前だった。
初めてその名を聞いたとき、あまりにも似合いすぎていてまぶしさすら感じた。
長年連れ添った三歌は笑いシワが深く刻まれた愛嬌のある女になったが、若い頃はあれでなかなか器量良しだった。
彼女に笑いかけられると、心臓が止まるかと思うほどだった。
初めて2人きりで出かけたときは、情けない話だが待ち合わせ場所につくまで緊張して帰りたくなったほどだ。
そして帰るときは時間が止まればいいと、恥ずかしげも無く祈ったりもした。
初めて2人で朝を迎えたとき。まだ眠る三歌をみてこみ上げてくる激しく温かい感情に嘔吐してしまうのではないかと思った。
結婚を申し込んだとき。もうその時のことは真っ白で実はよく覚えていない。
でも、彼女の人生私が守るのだと。体中が震えたのは覚えている。
私は良い亭主だったか。そう問われれば、良いとはいえないが悪くも無い、つまりどこにでもいる亭主だったと答えるだろう。ほとんどの男はそう答えるのではないだろうか。
稼ぎが多いとはいえないが真面目に働いた。欠勤もほとんどない。
少し遅めに息子を授かった。嬉しくて、初めて妻の前で泣いた。
それを見て笑った三歌は、私の知る彼女の人生の中で一番美しかった。
休みの日はたまに息子と遊び、1年に1度は家族旅行と称してキャンプをしたりした。
私たちは概ね仲良くやっていたと思う。
三歌を裏切った事がないといえば嘘になるかもしれない。
三歌との結婚に不満があったわけでもない。
ただ、私も男で、たまには密かに他の女性に心ときめかせたときもあった。
それは飲み屋のママだったり、会社の部下だったり。
そして千香の母さくらさんだった。
初めて息子がさくらさんを連れてきた日を覚えている。
息子が女性を連れてくる、それは娘を持つ親が男を紹介されるときに比べればずっと気が楽なはずだ。
気楽に構えていた私の前に現れたさくらさんは、それは清楚なお嬢さんだった。
妻を無くし、光の消えた我が家に眩しい何かが降り立ったように感じた。
地味な紺のワンピースからあふれ出るような若さと愛らしさ、肩口でカールされた髪が気になるのか何度も触りながら。
私の前に緊張と期待を込めた笑顔で座っていた。
年甲斐も無く心が踊った。
こんな可憐で愛らしいお嬢さんが、私の娘になるというのだ。
それは誇らしいような。面映いような。
この年になって毎日がぱっと明るくなる事があるなんて思わなかった。
それほど息子夫婦との生活は、気を使いながらも明るいものだった。
さくらさんに特別な感情を持っていたのかというと、確かに持っていたといえる。
ただそれは、簡単に惚れたはれたと言ってしまえるほど単純なものではなかった。
もっと深い、愛しいという感情。それはもちろん息子もひっくるめて大切にしたいという気持ちだった。
だがここだけの話だ。さくらさんと2人きりになると、白状しよう、胸が高鳴ったりもした。
こんな年寄りが何を言うかとあなたは笑うか。
若い人とは不思議なものだ。
若さというものは確かに眩しいが、誰もが平等に持っていて、誰もが平等に無くしていくものだ。
だからこそ素晴らしくもあるが、老いて初めて見える世界というものも確かにある。
若い人たちはその世界を見もしないうちから、その誰もが持つ一瞬の若さというあやふやな特権を絶対のものと信じ、振り回し、年よりをまるで植物のように扱う。
心の奥に、もっと深く温かいものを抱いている事を実はよく分かっていない。
事実老いぼれの私は、それでもさくらさんの笑顔に心癒され、スカートから覗く健康的な足に緊張したりもした。
何も出来ないなりに、守ってやりたいと思っていた。
私は今も、若い人の言葉を借りていうなら恋をしているということになる。
自分でこの気持ちに当てはまる言葉を捜してみたが、思いつかなかった。恋とか愛とか。それでは言い表せない。
三歌も、さくらさんも。2人がいなくなった今でも感じる事ができる。この想いに満たされている。
それは三歌に感じた、突き上げられるような熱情でもなく。長年連れ添った、一緒に悪巧みして笑いあう戦友のような絆でもなく。
さくらさんに感じた希望と、少々の後ろめたさとか。
それらでもなく。それら全てをひっくるめたものでもある。そんな狂おしくも温かいものを。
孫の千香に見る事が出来る。
三歌に感じる深い絆を。
さくらさんに感じる愛しさを。
私の全身全霊を捧げても惜しくないこの存在を。
いまだかつて誰かにここまでの愛情を注いだ事があっただろうか。
「おじいちゃん。バレンタイン。チョコどうぞ。」
「ありがとう。千香。」
「おじいちゃんだいすきよ。長生きしてね。」
「ありがとう千香。おじいちゃんも世界で一番千香がすきだよ。」
嘘のない言葉を。
なんのわだかまりも無く、素直な気持ちで、最大の想いを。
私の平凡な人生に光と温かさをくれた。
愛する女たちへ。
やばすぎ!!なんで男の心の中が赤裸々になるの?