チナウ
2006-02-23 (木) たくさんの事が変わってゆくとあれは幻のように想えて。 [長年日記]
■ みんなのうた。
初めて彼に会ったときの事は正直記憶にない。
私はもともと薄情なほうではあるけれど、それ以上に彼の温和な性格が、尋常じゃない自然さで馴染んでしまったからではないかと思っている。
大きな体に金髪碧眼。絵に描いたような外国人のスコット。
・・・・目立つはずなのに。
バツ3はっちゃけ姉さんと久しぶりに電話で話した。
知り合いの離婚ゴタゴタ騒動の顛末を聞いた。あまりにもやりきれない切なさに胃が痛んだりした。
そして他の人たちの近況を聞いた。
私はいつものように、スコットは?スコットは幸せになってる?と聞く。
スコットはとても穏やかで優しい性格だ。
私がバイトしていたインド料理屋に、何時の頃からか一人で飲みに来るようになった。
そのきっかけがまったく思い出せないが、ずっと前からいるように、スコットは控えめにカウンターの端でニコニコとお酒を飲んでいた。
時にはチビッコギャングたちの勢いに驚きながらもニコニコし、大人なお客さんたちとは仕事の話をポツポツしたり。
人のことを悪く言わず、怒らず、たまに酔っ払って一緒にはしゃぐ。
そんなスコットが皆大好きだった。
店は駅のすぐそばにあった。店のほとんどが大きな窓で囲まれていた為、道行く人がよく見える。
私はカウンターの中から知り合いを見つけると、すぐ飛び出して捕獲したりしていた。
今思えば嫌な店だ。
だから割と一人客も多く、そうなると客同士も仲良くなる。そこに地元のチビッコギャングが新しい友達や恋人、時には親なんかもつれてきたりするので、店はいつも訳の分からない客層で賑わっていた。
その町はどの繁華街にも近いため単身者も多いが、下町情緒も残っているという理想的な場所で、古い住民にも新しい住民にも大変住み心地の良い町だった。
近所の大きな公園の桜が咲き始めたので、んじゃ花見でもすっかと酔っ払いながら勢いで決めたら、当日なぜか30人ほど集まり、花見弁当らしいものの中にエスニックなタンドリーチキンやケバブなんかが転がり、昼過ぎだったはずなのにいつのまにかすっかり夜で、ギャングのお父さんたちが尺八と三味線をかき鳴らし始めれば、地域で有名な民謡のチャンピオンが自慢の喉を披露する。
満開の桜の下インド人のオーナーやスコットは感激して正座、私たちは近所に住む友人の家から大鍋で作った豚汁を運び出し暖を取り、気がついたら配給のように見知らぬおっさんが豚汁を配る列に並んでいた。
そんな私たちをみて、スコットはいつも決まってクレイジーだと笑う。
そんな下町情緒の残る楽園にも開発の手は進み、駅前は工事が続くようになる。
目の前の道路や駅の降下を掘り起こす工事が連日連夜続けられ、カウンターから憂鬱にその作業を見つめる日々が始まった。
店内は工事の騒音が流れ込んできたりしたが、ありがたいことに常連の足が遠のく事もなく、皆毎日元気にお酒を飲んでいた。
その日もやっぱりスコットはいて、もう一杯、いやもう帰るなんかをお約束のように3杯ほど繰り返し、そしてニコニコと帰っていった。
深夜0時になり目の前の工事は終了。まだ残っていた常連さんたちとだらだら飲んでいたら、入り口のドアがカララと開いた。
みると今まで道路を掘り起こしていた人たちが遠慮がちに、一杯だけ飲ませてもらえませんかと言ってきた。
一応軽く着替えてきているが、こんな格好でも入れてももらえるかとものすごく心配している。
うちはべつに普通の店だし、どうぞどうぞと招き入れたら、皆仲良く生ビールをおいしそうに飲みだした。聞くと東北からこの季節だけ働きに来ている人たちばかりで、このまま寮に帰っても寂しいし、いつもこの店でみんな楽しそうに飲んでるのが羨ましかったと教えてくれた。
もちろんオーナーも当然のことウェルカムだし、私たちも一緒になって飲んでいた。
そうなると懐かしい故郷の話が飛び出して。うちの田舎の酒もうまいとか誰かが言い出して、寮に隠しておいたとっておきの地酒を誰かが取ってきてくれて、オーナーもオウ!フルーティーデスネ!とゴキゲンで、いつのまにかテーブルにはあたりめとかトバだとか、日本人のソウルフードが所狭しと並べられた。皆気のいい酒飲みばかりでもりあがった。冗談のようにビールがおかわりされ、一升瓶が3本ほど空いた頃、その作業場のリーダーらしき人が若手に、おい、あれもってこい!みたいな指示が出て、そこに大きな保冷の発泡スチロールの箱が運び込まれ、中から見事な蟹3ハイが飛び出した。
ウメー!!蟹超ウメー!!日本酒もススムー!!とまた大盛り上がりで、ふと気が付くと店の外をスーツを着た通勤の人たちがたくさん通り過ぎる時間となっており、みないぶかしげに店を一瞥しては去って行く。通勤ラッシュの中には当然のように知り合いがたくさんいて、ほんの8時間ほど前まではベロベロでカウンターにだらしなく突っ伏していたはずのイガリが、酒の抜けない死んだ目で店の前を通過し、私たちのほうを見て信じられないという顔をしたあと、更にウェっとなっていた。 そして日も高く上った頃フレックスのスコットが前を通過、こちらを見て驚いているので、カニーと頭上に大きな蟹を掲げて見せたら、更に腰を抜かしそうになっていた。
ホントッッ、クレイジーダヨッッ!!
その日だけはめずらしく絶叫したくせに、やっぱりその日の夜も皆店に集合していて、なんか蟹の臭いが抜けなくね?とかいうので、それをつまみに飲めばいいやんとか言ったらものすごい勢いでブーイングをくらった。
あの町は更に開発がすすみ。今では小汚いラーメン屋が潰れたりして、バーやイタリアンの店が増えてきたらしい。
近県からも子供が集まってくるという評判のクラブまであるというのでたまげたら、よくよく聞くとその店は私がいた最後のほうに出来た店で、近所のチビッコギャング達が週末にインチキDJをしたりしていた所だった。仕事終わりにコーちゃんとのみに行き、ガバガバのみ過ぎ明け方解散、荷物を一式無くした私は再びコーちゃんの家のインターホンを連打。その後2人で店に乗り込み、酔いつぶれて床で死体になっているオーナーをたたき起こし、冷蔵庫の中まで荷物を捜した印象深い店のことだった。
オーナーいっちょまえに調子くれてるんじゃないかとおもったが、相変わらず気の弱い優しい人で、平日は姉さん達にいじられてオタオタしているらしい。
あの、店の前の道路工事の音は、町の変わりを知らせる音だったのかと思うと。少し寂しくなったりもして。
そして残った人たちで新しい人たちに、かつてこの町にあったあの店のことを話したりしているらしい。
ありがたいことに、トモは最近どうしているのかとよく話題に上がるそうだ。ありがとうみなさま元気ですよ。行けない距離じゃないけれど、そこで飲んで酔わずに無事家にたどり着ける自信がまだ持てませんのでご無沙汰しておりますが。
スコットは酔うといつも、あのインド料理屋は特別だったと言う。
あの頃のスコットは、日本にきたばかりでなじめず、仕事の重圧とホームシックでノイローゼになりそうだったらしい。日本語もまだうまくなかった。
そんな時あの店にめぐり合い、いつも店の前を通ると誰かが声をかけて自分を迎え入れてくれた。一人で夕飯を取る事が極端に減った。仕事場で夕食を済ませた後でも、あそこに行けば誰かいて、そして一日を満ち足りた気持ちで締めくくる事が出来たと。だからあの店にボクはすごく感謝している、ボクの運命を変えた店だといつもいうらしい。
そんなオーバーなと思うのだが、実際スコットは今恋人と、スグとなりの駅にマンションを購入してしまった。
ボクはもうこの思い出の詰った土地から離れられないよが口癖で、ずっと日本にいると宣言。日本に来るまではほんのちょっとの予定だったのに。
うんスコット。確かに運命かわっとるよ。
スコットは優しすぎて、いつもなんか女性に利用されるような恋愛が多かった。
そのくせ私より10コ年上のこの心優しい友人は、お兄ちゃんのように私のことを心配してくれた。
だから私はいつも、スコットは幸せになってる?と聞いてしまう。
スコットが幸せになっている事に救われ、憂鬱な友人の離婚話から少し開放された気持ちになった。
私ももし一人身になってしまったらあの町にかえるので、ぜひ温かく迎えてくださいとお願いしておいた。
すると姉さんはこんな事を、結構本気に言い出した。
「メキシコのカリブ海の近くに土地買ったの。そんで地元の人たちと交流してみたらお好み焼きが意外に好評なのよ!家建てたら庭にテントはっておくから、トモ、お好み焼き売ってみてよ!」
・・・・・エエエエエーー・・・・・・・カリブ海て・・・・・・・・。
カリブ海の近くでお好み焼きを焼きながらタコスを食べている自分を想像して。
人生にはどんなきっかけや出会いがあるかわからないけれど、できれば日本に骨を埋めたいなとぼんやり思う平凡な私がいた。