チナウ
2003-11-04 (火) ちょうちょ、チョウチョ。 [長年日記]
■ ひらひら、サラサラ。
私は女の子という生き物が結構好きだ。
好きと言うより正直に言うと興味深い。
同じ女なのに、私の前にいた彼女たちはどこか現実味が無くて、なのにタフで、
そしてとてもとても儚げだった。
何とか力になれないものかとうぬぼれた手を差し出すと、
こちらを哀れむように微笑んで、いつもその手をすり抜けてしまう。
そしてまた、危なげに、たくましく歩いて行く。
どこからかやってきて、どこかへ去っていく。
そして女の子という一瞬の特異な空気をまとった女性たちが、
何人かゆっくり私の前を過ぎていった。
当時の私は深夜2時までやっている飲食店で働いていた。
レストランという機能は夜10時ごろでストップし、ほとんどの客がショットバーのような感覚で利用していた。
外国人が経営するこの店はとても小さくアットホームで、実に幅広い客層を誇り、店側と客側の境界線すらあやふやというどうしようもない愛すべき店だった。
夜も深まってくると客もほとんどなく、私は小さなバーを兼ねたカウンターの中に入り、常連たちが数人カウンターに陣取るというのがいつものパターンだった。
あるときほぼ同時期に、まったくタイプの違う女の子2人がこの店に来るようになた。
2人はとても私になついてくれて、仕事終わりにはよく立ち寄ってはお酒を飲んで帰っていった。
クミは某ゲーム会社に勤める20歳。
ナオはデリヘル嬢の20歳。
どちらも別々に店に来るうちに、なんとなく顔見知りになり、お互いが語り合うことは無いながらも私を挟んで3人で他愛も無い話をしたりした。
さばさばしていて、気が強そうに見えながらも結構弱気なクミ。
今時な服装に甘ったれた声、それでいて実は頑固そうなナオ。
店に入ってくるときのお決まりのポーズも、2人はとても対照的だった。
「トモねぇ〜、もーやだー。つかれたー。」
クミは短大を卒業後入ったゲーム会社で、その会社が経営するアミューズメントスポットに配属された。
毎日100円玉ばかり数え、カップルに目の前でいちゃつかれ、休日が友人たちと合わない為孤独だと文句を垂れた。
使えないバイトや、効率の悪いシフト、会社への不満をじつに鮮やかに語ってくれた。
「トモねぇ〜おつかれ〜。きょうはね〜4ほーん。」
ナオはいつもニコニコしながら店に入ってくる。
八重歯の覗くグロスで光る唇からは、甘ったれた口調のはしたない言葉がこぼれた。
他の客に何の仕事をしているか聞かれると、究極のサービス業ですと答えていた。
相変わらず甘ったれた声だった。
そしてそれは確かに可愛かった。
キリっとした整った顔をしたクミと、砂糖菓子のように甘ったるいナオ。
こんな2人がカウンターにいたら目立たないはずが無い。
時にテーブル席からちょっかいを出そうとする酔っ払った客を、私は何度もたしなめた。つか、キーキー言った。
おかんのような私に他の客や、そして彼女たち自身も良く笑っていた。
笑い事とちゃうでほんまとか言いながら、私も苦笑いの日々だった。
クミは休みがあわない事とイライラが重なり、付き合っていた彼と別れた。
ナオは対照的にラブラブの彼がいた。
ラヴ彼はほぼ毎日のように彼女の家に足を運んでいた。
2人の馴れ初めを聞くと、お客さんだったのとテレくさそうに笑った。
彼が初めて体験した風俗の相手がナオだったらしい。
今はナオの体をいたわり、毎日のように彼女の一人暮らしの部屋へ遊びに来るらしい。
なんかひっかかったが、まあ、時代は変わったんだなと、私は偉そうな事を考えていた。
一度だけクミが店に男性同伴で現れた。相手は熱っぽい目でクミを見つめ熱心に語っていた。
クミも私が見たことの無い女の顔になっていた。
恋人同士というより、それに入る前の狩に似たような、そんな微妙なパワーバランスが見え隠れする空気だった。
後日彼女のほうから報告してきた。
知り合いの彼氏らしい。
例えば、彼女がいる人や知ってる人の彼氏とそうなる女性を、尻軽だとか、もっとあけすけな呼び方とか、そんな言葉で片付けるのは簡単で安全だけど、結局はあまり意味が無い。
男性からそんな目で見られていたとしても、本人がそんな言葉に見向きもせず、その行為の中にそれ以外の意味を見ている以上は食い違いというか温度差が生じる。
相手から求められて、それで己がもてているとか、そんな単純な勘違いをしているわけでもなく。
ただ、相手の視線から感じ取る単純に自分を欲している欲望という熱。
相手にもし彼や彼女がいる場合、自分の存在自体が相手にとってタブーとなる。
そんな恐ろしくくだらなくあやふやなものを、必要としてしまう時期をもつ人間が確かに存在する。
そんな熱で自分の下がりつつある体温を温める瞬間があるということを私は否定しない。
それが正しいかとか悪い事だとか、そんなことを語る時間こそがくだらない。
そんな熱が自分の体温を本当に上昇させる事が出来ない事、
そんなことはちゃんと分かっている。
だからこそ一瞬の熱は、本当かどうかとかとかその是非を問う以前に一瞬の快感をくれる。
一瞬の快感は一瞬に消えてしまう。
後に残るのは更に低下する体温。
だから必死に一瞬の熱を求める。
そして平穏の大切さを知る。
そうやって数ヶ月の間クミは少し不安定な時期を過ごしていた。
カウンターに突っ伏す彼女を、邪魔だとか言いながら他の客と軽グチを叩いたりしていると、
一面ガラス張りの店内から見える表の道を、ナオが彼と腕を組みながら幸せそうに通過する。
私に甘ったれた笑顔を送りながら。
なかなかカッコイイ彼で、おいおいずりーよとか口をパクパクしてみせた。
ナオはとろけそうに又笑った。
その頃私も一つの転機が訪れようとしていて。
店ではだらしなく笑いながらもっとだらしない人生に少し反省したりもしていた。
なにやってるんだろうと。
ある日私は友人たちとあいも変わらず大酒を飲んでいた。
ナオから携帯に電話が入った。
私達はもう随分前に番号を交換していたが、実際かかってきたのは後にも先にもこのときだけだった。
電話を取ると小さな小さな声で、トモ姉、おなかが痛いと言った。
ナオは店の近所に住んでおり、大体の場所も聞いていた。
早速行ってみると、ひっそりした外観からは想像も出来ないほど、立派で綺麗なエントランスに迎え入れられた。
インターホン越しの声に導かれ、私は彼女の部屋の前に立った。
部屋は驚くほど広く、驚くほどがらんとしていた。
広いフローリングの部屋の片隅に、キティちゃんなどのキャラクターグッズで埋められた彼女のベットがあった。
彼女はピンクの安っぽい毛布に包まっていた。
久しぶりに見た彼女は酷く痩せていて、私は買っていったヤキトリを簡単な親子丼もどきにして彼女に食べさせた。
ぽつぽつと彼女は話をした。
彼とうまくいっていないこと。
甘ったれた声で、それでも彼が好きだとか言いながら、彼女はお約束のように大粒の涙をこぼしてみせた。
黙って聞いていた私はある一点に目を吸い寄せられた。
ピンクの毛布から覗くナオの細くて白い足。
その足首に小さな小さなタトゥ。
小さな葉を四枚広げた儚げなクローバー。
ナオは私の視線に気がつき、小さなクローバーをなぞりながら少しだけ昔話をした。
小さい頃から足が速かったこと。
高校1年生まで陸上をやっていた事。
足をくじいた事。
選手生命がとかそんな問題は全く無かったが、その怪我をきっかけにお父さんに恋人がいることをお母さんが知ったこと。
もともと会話の無かった家庭があっけなく崩壊した事。
寂しくなんかはなかったらしい。
小学生の頃から、家にいても寂しさは常に感じていたから。
高校を卒業して東京に出てきて、そしてなんとなく怪我したほうの足首を幸せのクローバーで封印した。
いろいろな事を封印した。
そして東京の地に立った。
「彼がね、家に泊まるときいつもね、このクローバー舐めるの。へんなの。ね。」
甘ったれた声でナオは笑った。
テレも無くうっとりした表情は幸せそうだった。
それから1週間ほどしてナオからよりを戻したという報告を受けた。
また店の前を、彼に甘えるように腕を絡めながら通る日々が戻った。
その後私は店を辞め。
隣駅へ引越した。
たった一駅の距離が、意外なほど私を店から引き離した。
ナオの噂を耳にした。
あの彼に勧められ、もう少し給料のいい店に移ったということ。
彼が仕事に行き詰まり、ナオからお金を借りていたこと。
実は妻子持ちだったという事。
クミはその後姿を見せなくなった。
どうなったかは今もって知らない。
彼女の携帯の番号を知っていたのに、携帯をなくしたりしてメモリは消滅した。
私は携帯の番号を今まで一度も変えていない。
それで連絡が無いという事は、良くも悪くもそういうことなんだろう。
そして私たちの関係は、ともに時間を共有した店が閉店という形で本格的に幕を閉じる。
彼女たちが幸せだったか今幸せか、そんなことは正直言って今の私にはあまり重要な事ではない。
彼女たちが不幸だったか傷ついたか、そんなことは正直言って私には関係ない。
ただいまでも思い出すのは、あのときのクミが知り合いの彼に見せた女の顔と、
ナオがクローバーをなぞりながら浮かべた恍惚の表情。
過去に何があろうと、これから何かが起ころうと、
それは変わりの無い事実。体験。
そして私はその時確かに彼女たちに強く惹かれていた。
儚げで切なくて陽炎のような一瞬。
裏切られた記憶、愛された記憶、
裏切った記憶、愛した記憶。
それら全てはなくならないし、
ずっと同じ重さでも存在しない。
足かせにも、宝にもならないものを抱え
今日も私は生きている。
明日もあさっても、昨日と同じ時間と重みで繰り返される。
まわりは自分に色んな事を言ってくる、それは止める事の出来ない現実。
ただ、その時持った気持ちや今も持つ想い、
それら全ての衝撃は自分にしか分からない。
思い出というものは
懐かしく
腹の足しにもならず
愛しい。
くだらなく、すばらしい人生を
通り過ぎた人たちが彩りを加え
私はそれらをやっぱり愛しているんだと思う。