チナウ
2003-04-01 (火) 4月1日。ウソっこ劇場。 [長年日記]
■ 本当は犬も猫も別に飼いたくない。
『きみはペット』。ドラマ化らしいですね。
あれは面白い恋愛物ですね。SFの。
主人公スミレちゃんはハーバード大卒の新聞社に勤めるできるOL。
彼は出世頭の先輩。
テレ屋の彼女が唯一自分をさらけ出せる場所はペットのモモといるときだけ。
ペットのモモはプロダンサーの年下の男の子。
ね。SFでしょ。
彼とモモの間で、微妙にバランスが動く話しなんですよ。
そうなると読者の人気はペットモモへ集中。
そら飼いたいよ。そんなかわいくて都合のいい甘え上手なペット。
現実には落ちてないのかな。
ヒデちゃんは無口な格闘家のタマゴだ。
いつも遊んでいたやんちゃなギャングたちに連れまわされるようにひっそりとそこにいた。
ある日皆で飲んでいるとき、めずらしく少し酔ったヒデちゃんと話した。
ヒデちゃんは、相手に右耳を殴られていらいどうも聞こえが悪いらしい。
ちょうどその頃会社の聴力検査でじぶんの右耳のへっぽこさを知って落ち込んでいた私は、不謹慎な話だが嬉しくなって、聞こえにくくて人に聞き返すのが辛いことグチった。
右側に座っていた私。うるさい店内の音。ひょっとすると聞こえていなかったかもしれない。
ヒデちゃんは静かにわらっていた。
人見知りが激しく無口なヒデちゃんが、少し近づいたような。
猛獣使いの気分だった。
ある日の私はおなかを大変すかせていた。
仕事も忙しい日が続いていたため、外で食べる気にもなれず、ましてや自炊する気もさらさらなかった。
ピザ。ピザがたべたい。
胃は正直にほしいものを求めているのに、一人では食べきれる量じゃないので、しぶしぶ私は自宅マンションの1階にはいっているコンビニへむかった。
ヒデちゃんにばったりあった。
おなかのすいたお金の無い年下の男の子。お金はあるが食べきれないピザが食べたいお姉さん。
ナイスタイミングじゃないですか。
私はヒデちゃんのうちへ行き(めちゃめちゃ近く)、ピザを注文する。
ヒデちゃんは発泡酒をおれいにご馳走してくれた。
ヒデちゃんの部屋はびっくりするほど殺風景だ。
テレビすらない部屋で、私たちはピザを食べた。
お酒のあまり強くないヒデちゃんは又少し酔っ払って、めずらしく自分のことを話した。
お母さんを早くに亡くして、実家にはお父さんとお兄さんしかいないこと。
ずっと2人から暴力を受けて育ったこと。
高校に入った頃家を飛び出し、2年間友達の離れに居候したこと。
そんなあまり幸せとはいえない話を、ヒデちゃんはムリに明るく話すでもなく、辛そうに話すでもなく、ポツポツときわめて事務的に話した。
ほとんど私の尋問のようなものだったのかもしれない。
こんなボーっとしたヒデちゃんは果たして格闘技に向いているのかと私が心配すると、
向いているかどうかわからない。
ただ、人を殴ることになんの罪悪感も感じないし、勝ってもさして嬉しくないし、負けても悔しいとすら思えないと言っていた。
それって向いてんの?
その後酔っ払った私は、練習で汚れたので風呂に入るというヒデちゃんについて入り、ユニットバスの洗面台にはった氷水に買い足したビールを差し込み、便座に座ってまた色々話した。
左手を負傷していたヒデちゃんにかわり、髪をがしがし洗ってやった。
ちょっとイヤそうにしたけどさして抵抗もせず、ヒデちゃんはがしがしされていた。
細くてやわらかい茶色の髪は、驚くほどきめの細かい泡を立てた。
洗い終わったあと、なんだか一仕事をおえた充実した気分だった。
後になにかのマンガで年下の男の子の髪を洗う女の話を読んだ。
大型犬を洗う楽しみに似ていると嬉しそうに言っていた。
なんだ。年下の茶色いやわらかい髪の男の子は洗っていいんだ。
大型犬といっしょなんだ。
その後ヒデちゃんと私はよく遊んだ。
怖いビデオがダイスキな私は、でも一人で見るのは怖いので、よく夜中ヒデちゃん家にアポナシでおしかけた。
稲川淳二の早口をなれないヒデちゃんは聞き取れないので、私はいつも同時通訳した。
おかげでさっぱり怖くなくなった。
散歩がてら、ヒデちゃんの夜のロードワークにもつきあったりした。
ダイエットダイエットと言いながら、かえりにちゃっかりタコヤキを買い食いした。
大型犬には散歩も大切なのだ。
そういう私にナニソレと興味なさそうに笑っていた。
ある日やっぱりピザが食べたくなって、ヒデちゃん家のドアをたたいた。
ギャルが出てきた。
ドスのきいた声であんただれと言われた。コエー。
お風呂から出てきたヒデちゃんに、甘えるような声で私のことを問いただした。
わりぃ。
あわてて私は退散した。
ああ。ヒデちゃんも男の子だったんだ。あたりまえか。
そのまま皆の溜まり場Sへ向かい、来てた友人たちと飲んでいると、30分もしないうちにヒデちゃんが来た。
皆に、トモ姉にセックス邪魔されたといわれた。
いや、ほんと。わりかった。
皆大爆笑だった。
私たちの間に男女の感情はまったく無かった。
ヒデちゃんはあの性格だし、私はその頃付き合いかけの人がいた。
ヒデちゃんはいつも私といると気が楽だと言う。
セックスしなくていいかららしい。
ナニソレ。
その後ある事情でヒデちゃんは実家に帰った。
1ヶ月もしないうちにお兄さんをぶん殴って大怪我をさせ、夜中救急車で駆け込んだ病院から、着の身着のままで姿をくらました。
ヒデちゃん。逃亡。
その話を聞いたときは一瞬心配したけれど、でもすぐ忘れた。
毎日が忙しかった。
半年後、Sでバイトし始めたばかりの私はバーカウンターで他の客と話していた。
ふと外を見るとヒデちゃんが立っていた。
ビックリして店から飛び出したら、逃げようとするのでとっつかまえた。
あんた。なにしてんの。
うん。まあいろいろ。
皆心配してたから、集合かけるか?
いや、もう行くし。
じゃあみんなにちゃんと顔見せてから行くんだよ。
うん、分かった。
ヒデちゃんが去ってから時計を見たら、電車なんてとっくに無い時間だった。
そして結局ヒデちゃんを目撃したのは私だけだった。
アレは幽霊だったのかとか、酔った私が見た幻覚だとか。言いたいほうだい言われましたが。
依然としてヒデちゃんの行方は知れず、私も引越したのでもう会えないのかもしれません。
やっぱりヤツは野生だったのか。
私が一瞬手なずけた野生の動物は、そのままどこかへ行ってしまいました。
薄情なやっちゃ。
最初で最後、私が餌付けした動物。
そんなもんですよ。私のペット話なんて。