チナウ
2004-06-14 (月) 色々な意味で。 [長年日記]
■ 分かる人にしかおもんない話。
ボクタチは確かにビックリマン世代ではなかった。
でもボクタチなりの素晴らしい時代だってあったのだ。
ビックリマンとか、ポッケモーンとか、あれは結局財力の勝負なんだ。
カードを買って、バトルという名の一瞬で終るなんか、ピ!とかプ!とかで勝負が決まる。
歯医者の息子に所詮化粧品屋の娘は勝てない仕組みになってるんだ!
そんな切なさを抱え、自分たちの子供時代を振り返った。
浅野君も言うように、子供の頃コカコーラのヨーヨーあった。あったあった。
確かあの頃で、瓶のコーラが60円くらいだったと思う。パン屋とかの店先に、でっかい冷蔵庫のようなものがあって、扉についてる王冠抜きでガコッと外すと、王冠の裏に白いビニールのような薄いまくが張り付いている。
爪が付いてるからそれをつまんでベロっと剥がすと、当たりとかハズレとか書いてある。
実は私はくじ運があまりよくないのだが、このヨーヨーは立て続けに2本一気に当たった。たぶん配達のお兄ちゃんがうまく混ぜてなかったんだと思う。
パン屋に言うと、ヨーヨーがもらえた。
うろ覚えなんだけど、コレが子供心にかっこよかったように思う。
銀色で、中心には赤い円のシールが貼ってあり、お約束のコカコーラのロゴが入っていたように思う。
結構ずっしりしてた。
そして私はこれを自慢げに幼馴染達に見せびらかす。
当然私はヨーヨーなど旨いわけがないから、とりあえずみようみまねでブンブン振り回す。なにせ2個あるもんだから、両手につけてアチョーとか言いながら振り回す。糸の長さがわからないから、ヨーヨーは予想だにしない距離の半径を描いて私の手元を離れる。
右手のヨーヨー豆腐屋のたっちゃんの顔面直撃→たっちゃんの前歯破損(乳歯だった。よかったよかった。)→お母さんからゲンコツ。
左手のヨーヨー自分の頭に直撃→コブガできる→お父さんにマヌケといってゲンコツを喰らう。
こうして私のヨーヨー所有時間は1日と持たなかった。親にこんな凶器持たせられんと没収された。泣いた。
そして子供同士のバトルというと、ベッタン。関東で言うメンコ。
私たちの時一番流行っていたべったんのルールは、段のあるところにベッタンをおき、3分の1ほど段からはみ出させる。
そこを靴でひっぱたき、どこまで飛んだかを競うといういたってシンプルなものだった。
薄い靴のほうが良く飛ぶので、スニーカーより、子供のはくキャラクターの絵が書いてあるゴム靴のようなものがより飛ぶ。
ある日何を思ったのか、カーペット屋のカズヒコがお母さんのヒールを持ってきた。
薄く硬い靴底に見事ヒットしてとてもよく飛んだ。
一番飛んだものが総取りが私たちのルールだったから、カズヒコはどんどん仲間のベッタンを巻き上げていく。
そうなったらみんなタイムを仕掛けて、いっせいに家へ帰り、コッソリ下駄箱から母親のヒールやパンプスを持ってくる。
靴がベコベコになるもの、砂で白っぽく汚れるもの、ヒールについてる飾りが取れるもの続出。
最後はケンカ。ヒールのかかとで殴るという暴挙に出た散髪屋のヒロシ。
脳天をヒールのかかとで殴られたお茶屋のしょうちゃんが、血を出した所でバトル終了。
当然のことながら、その日は家に入れてもらえず、泣きながら家の扉を叩く子供が商店街の中に続出した。
そして一番ブームになったものはビー玉。近所の駄菓子屋には色とりどりのビー玉が置かれていた。
しかし、買ってビー玉を集めるものは、私たちの中ではヘタレの烙印を押され仲間に入れてもらえない。
基本的なルールとしては、駄菓子屋で一番安い、100円で10個だか20個だか網に詰め合わせになっていたものを買ってくる。色も柄も平凡でかわいくない。しかし全てはここから始まるのだ。
そして勝負をし、買ったものが相手のビー玉を取り上げる。
仲間内で一通りやり取りしたら、もっと大きな獲物を狙うべく他の学校からも子供が遊びに来るような大きな公園へ遠征に行く。
そこでまた勝負をする。
その頃には、買ったほうが負けたほうのビー玉を取り上げるだけではなく、事前に自分の一番大切なビー玉を賭けると宣言する。
宝物というからには、色が綺麗だったり、作る工程で何かしらミスが生じて出来たようなレアものだったり。
それを欲しいと思ったものが、そのビー玉に負けない位のレアもののお宝を賭ける。そしてバトルする。
ルールは長くなるのではしょるが、1試合最低15分はかかった。
ケンカが弱くて、運動が出来なくても、ビー玉だけは強いという子供もいた。おもに手がでかい子だ。
そんなヤツを見つけてきて団体戦に持ち込んだりして、私たち商店街チームはかなりの数のビー玉を持っていた。
最終的には、最初の10個からスタートしたビー玉は、私個人で手元に5000個を超えるほどとなった。
散らかして親に捨てられそうになったり、まだ幼かった弟が飲み込みそうになったり、クラスで一人や二人は鼻に詰めて大騒ぎになったりの様々な事件を起こし、この一大ビー玉ブームは、他校生とのケンカの種ということで全校朝礼で注意されて以来なんとなく終息を向かえる。
あの頃は、なんだか大人にケチつけられたとたん白けてしまっていたのだ。
子供は秘密が好きだ。
雨上がり、粘土質の校庭の土で作る泥ダンゴの乾燥場所。
公園で一番高い木の上に作った鳥小屋に見せかけた宝物入れ。
校庭を取り巻くフェンスの下に穴を掘って、コッソリ外に出れるように作った脱出通路。
どれも大人の介入しないところにロマンがあった。
お母さんにおねだりして筋肉マンけしごむを買い集め、一人遊びにふける弟を、よくヘタレといっていじめた。
強さ、勢いだけが私たちの中を駆け巡り、支配していた。
こうして、私は見事におままごととか、着せ替え人形とか、そういうメルヘンなものとは無縁な幼児期を過ごした。
木から木へ飛び移った時に落ちて折った肩の骨。
顔面にはうっすらだが二度と消えない傷が2ヶ所。
左足には、破れたトタンの上でビョンゴビョンゴはねた拍子に切った10センチの大きな傷。
お約束で花火を振り回して出来た手の焼けど。
そんなやんちゃで男の子のような私をいつも心配していた母親。
ある日母親は近所の本屋さんで、ポストカード集を買って来た。安売りしていたからだ。
ほら、女の子はこんな天使みたいな絵のカードとか好きでしょ。ね、コレを真似てお絵かきでもしたら?
そんな安易な親心だったのだろう。
トモ、小学生。
そのポストカードは【風と木の詩】。
うん。堕天使に扮したジルベールを、天使のセルジュがなんか矢みたいなので射してた。
バラの中で抱きあっとった。
どんな情操教育やねん。
ぴちぴちのランニングに布地を節約したとしか思えない短パンっていう時代ですな。あの頃ファットとかルーズなんて言葉はどこにもなかったよ(涙)
クラスに一人は真冬でも半袖半ズボンをウリにしているヤツがいた。
そんなやつに限って小太りで地味だった。
ビー玉燃えたね。綺麗なビー玉好きだったよ。あとねプラスチックのおはじきやお手玉とかもあった。昼休みによくやった。ソフビのタイガーマスクのリングとミクロマンが欲しかった。お金持ちの象徴だよ、無限に種類が出てくるミクロマンの基地。まさに財力勝負。<br>俺は、やけどしながら作ったプラモのサンダーバード基地が好き。いまだに手の甲に焼けどの後が残ってるもん。
「かぜときのシ」とルビふって業界から抹殺された編集がいた時代。「詩」のホンマの読み方を勉強しました。