チナウ
2002-03-11 (月) 昔の写真を発見。懐かしさと切なさがこみ上げてきました。 [長年日記]
■ やばい!と思うときがある。
いろんな人に会うと、好みの男性にあうときもある。
やばいなー、ステキだなー、結構好きなんだよなーこんなタイプ、と困ってしまう。
でも私には相方がいるからこまっちゃうなーと一人でニヤニヤして終わりだ。
タイミングもある。
もし今私がひとりだったらいっちゃうなー、でも今の生活を変えてでもはいかないなー、などと勝手に考えている。
恋愛はアメとムチだなとおもう。すべてのことがそうなんだけど、特に分かりやすいアメとムチだ。
ステキな人と知り合う。その瞬間、誰かが私の口に小さなアメのかけらを入れる。
甘い。すごく甘い。
でも一瞬で溶けてしまう。
私はもっとそのアメが舐めたくなる。で、飢えた子供のように突っ走りだす。
自分に彼氏がいたら迷うけど、相手に彼女がいても迷わない。餓鬼になる。
次に2人で話す。甘い時間。
でも次のアメも本当に小さな塊なのですぐ溶けてしまう。
家に帰って何度も何度もその甘さを思い出す。でも思い出せなくなってくる。
初めてキスをする。
その甘さをすべて舐め尽くしたくて、私は必死で舌を伸ばす。
もう小さな塊でなくて、それらをすべて溶かして風呂桶に満たし、体すべてを浸してしまいたい。
そのまま溺れてしまいたいとすら思う。
付き合うという行為はなんだか農作業のようだ。
荒れていた地をならし、水をまく。その土地の地質を調べ、それにあった種をまく。
いろいろな事を知り、雨に一喜一憂し、疲れたり、芽が出て喜んだり、収穫を心配し、実りに歓喜し、
それらを収穫し、又種をまく。
ゆっくりとした時間の中に少しずつ刻み込まれる幸せと不安。
疲れた作業が続くと、ふと、甘いものが食べたくなる。
疲れたときの甘さはとてつもなく甘美だ。
いつも私はその甘さを求め、農作業をほりだしてきた。
今後私は自分がどうするかわからない。
アメを求めて走り出す日がくるのか、それとも静かな収穫と作業を繰り返すのか。
ただ気が付いたことがある。
私の場合、初めてのキスをするまでのアメが一番甘い。
最高の甘さを感じた瞬間、脳裏にその後の農作業が浮かぶ。
しかしこれもまた絶妙のタイミングで、この頃からアメは味を変えはじめる。
すごく甘かったり、甘い中にすっぱさが混じったり。
すっぱさのあるアメを舐めた後の甘いアメは、とてつもなく甘く、
またその記憶が植え付けられて求めてしまう。
そうしてずっとずっと求めてきた。
作業の途中、収穫を待たずに私はその畑から離れた。
今、タイミング良く私は農作業の楽しさも少し味わえた。
一瞬の甘さのために、やっと少しだけできた実を手放すのが惜しくなってきてる。
ずっと甘いアメはない。それは別の農作業に続く道へ引き込むおとりかもしれない。
人と付き合うという行為は決して楽しいばかりじゃない。
だから神様は収穫という行為を与えてくれる。
でもあのとてつもなく甘いアメ。
とてつもなく甘く甘く、絶妙のタイミングで、削って固めて口の中に入れられる。
独特の瞬間、独特の味。
それを入れるのは、神なのか。悪魔なのか。
私なのか。あなたなのか。
『生徒諸君』を読もう。ユビキタス。