チナウ
2002-03-22 (金) 花酔い。 [長年日記]
■ 春の中の願い。
正直に言う。桜が嫌いだ。
満開の桜が本当は苦手だ。
なのになぜか毎年、毎週のようにいろんな人と花見をする。
でも私はほとんど桜を見ない。
視界にうっすらはいる綿菓子のような桜を感じながら、
あえて見上げることなく酒を飲んでは、毎回のようにばかさわぎをする。
まだ枯れ木にちかい枝に少しだけ芽吹く姿や、
いっそ散り果ててほとんどが葉になった頃、
やっと落ち着いて私は桜を見上げる。
満開の桜を見ていると、なぜかすごく不安になる。
可憐で優しい桃色の花が、
重みをたたえた深い深い白にみえてしかたがない。
けがれのない、可憐で、なのにすごく圧迫感のある。
晴れた空に映える白も、曇った空にそこだけ汚れなくみえる白も、
どちらもやはり見ていて不安で。
提灯で俗っぽく飾り立てても、屋台で根元を汚しても、
それをあざ笑っているようにすらみえる。
桜が嫌いだ。そして私は春が嫌いだ。
季節はその時々で独特の匂いを放つ。
夏の匂いには意味もなくわくわくするし、秋の夜はいつまでも文化祭の準備をしているみたいだ。
冬の匂いはあわただしさの中にも心が安らぐ。
でも春だけはどうもダメだ。
あの少し甘ったるい夜の匂いを感じると、私はたまらなく寂しくなってしまう。
実際春にはたくさんの別れがあり。
去られたこと、自分からも去ったこと。
なのにいつも取り残されたような気持ちになって。
そうだ。ちょうど。
私がはじめて東京に出てきたのは夏の終わりだった。
なのにいつもイメージは春のなかにあって、
そして私はいつも取り残されたような気持ちになる。
桜の花には匂いがないと、何故そういうのだろう。あんなに強く香っているのに。
桜は春の象徴で、優しく見守るように、でも見透かすように満開に花をつける。
私は毎年毎年それからにげようとして、気が付けばいつもその花の下にいる。
気が付けばいつ頃からか、私の時間の一部がずっと、春の夜の中にある。
多分これからも、毎年、毎年、
ずっとバカ騒ぎをして季節を渡り、一年に一度とてつもなく不安になり、
そしてまた逃げるように騒ぎながら、私の上を時間が渡っていく。
今日、私の友人に悲しいことが起こった。
女なら一番つらいことかもしれない。
私は良くしゃべるくせに、肝心のときに言葉が出ない。
大切なときに言葉が足りない。
誰も誰かの不幸を救うことなんてできないし、助けることなんてできないと私は思っている。
だから何もいえなくなる。
桜の木はすべて女だと聞いたことがある。
花の好きな彼女が、桜の下で笑っていた彼女が、せめて私のように桜嫌いにならないように、
今はそれだけを願っている。