チナウ
2003-05-14 (水) いったい何がおこってるんだ。 [長年日記]
■ コーちゃんが。
なんかね、新しい事を始めるんそうですよ。チナウで。
それがね、何をしようとしてるのかサッパリわかんないんですよ。
とりあえず、コーちゃんから皆様へご連絡のメールが届いております。
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お客様各位
平素はこのような稚拙なHPに遊びにきていただき、誠にありがとうございます。
こんなところを読むのに時間をつかうのもどうかとボクなりに皆様へご心配申し上げます。
さて、いままで日記しかツッコミできなかったこの「チナウ」でありますが、
このたび日記以外のコンテンツ管理に WikiWiki Clone である Hiki を採用することにしました。
「チナヰキ」です。よろしく。
引きこもりのワレワレにはピッタリのこのヒッキーというシステムは、相互参加型で誰でもどのページにもツッコミすることができます。Wiki について詳しく知りたい方は「WikiWayサポートページ」をご参照ください。
トモ吉のようなツッコミどころ満載のヤツにこそ必要なシステムと言えるでしょう。
みなさまにおかれましては、ガシガシ厳しく愛あるツッコミのほどよろしくお願いいたします。
これでトモ吉もすべてのコンテンツを自分自身で管理できるようになり、
わたくしめも煩わしい代理アップなどという非人間的な仕事から解放されることになります。
これからはオモンナかったらすべてトモ吉の責任ですので文句はトモ吉マデ。
アロハオエー。
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わからん。さっぱりわからん。
とりあえず、理解すんのめんどくさいのでやってまえーとGOサインを出しておきました。
近々ココ、なんか変わるらしいでしょ。
大丈夫なんですかねあのヒゲ油。
なんかわかんないけど、楽しくやっていけたらなぁと思っております。
コーちゃんがんば☆(一応サイトマスターからの応援)
■ タケちゃんフェアーその2:エンドレス。
さて。
親戚中から監視されている私とタケちゃんなのですが。
その後もお盆のキャンプの時には肝試しで山の中に子供を置き去りにしたり、
夜中の海に防波堤から飛び込んだり、
2人してシーカヤックで行方不明騒動を起こしたり、
ちゃくちゃくと信用をなくす実績を積み上げて行きました。
しかし私も大人になり、そうそう長崎の田舎には帰ることがなくなり、
そのまま私とタケちゃんの罪は時効になりつつありました。
7年前。私25歳。タケちゃん40歳。立派な2児の父。
そんな私たちが再び長崎のとある旅館に集結したのは、今は亡きおばあちゃんの米寿祝い。
お父さんの兄弟は6人兄弟。
ヤシャ孫まで飛び出す総勢40人強の集まり。
当日は私が司会をし、タケちゃんがビデオ撮影とおおいに活躍し、親戚中から誉められました。
昔のイタズラは払拭。キヒヒ。
夜もふけ、孫チームはまとめて大部屋へ。総勢15名。
皆で夜遅くまで飲みながら話していたのですが、1人、又1人と眠りについてしまいました。
残ったのは私と、奥さんと子供のために別部屋があるにもかかわらず遊びに来ていたタケちゃん。
皆おきない。ちぇーつまんねーの。
2人でお部屋の前にあるロビーで缶ビール片手にウダウダしてたのですが。
この大部屋。
ナゼ部屋の前にロビーがあるのかというと、なんかこの旅館つくりが変で、2階の奥の突き当たりにこの大部屋があるのですが、隣が大浴場なのです。
察するに、たぶんこの大部屋、もとはお風呂上りの人たちがくつろぐために作られた畳のお部屋のようです。
利用者が少なかったのか方針が変わったのか知りませんが、今は客室となっているようなのです。
ぼんやり大浴場の入り口を見つめる私たち。利用時間7:00〜24:00。ただ今の時刻深夜2:00。
男女それぞれの大浴場よりりっぱな入り口の大部屋。
・・・・・。
「トモ、ガムテープもってこい。」
「わかった。」
すぐピンと来た私。フロントでガムテープを借り戻ると、タケちゃんは女湯のノレンをイスに乗って外していました。
それを大部屋の入り口に、ガムテープが目立たないようにそっと貼る。
浴場の前に置いてある、1メートル程の高さのある円柱型電灯看板。
女風呂に入り電源を抜き、2人がかりで大部屋の前へ移動。(結構重かった)
コードを差し電気を点ける。薄暗い中に浮かび上がる白熱灯の光。いいかんじじゃないですか。
まだ足りないと判断したタケちゃんが、宴会場からビールの販促用ポスターを剥がしてくる。
大部屋の入り口に貼る。
飲み屋じゃないんだから大浴場の入り口にどうかとも思ったんだけど、貼ったらどうみても客室には見えなくなった。
私とタケちゃん大喜び。(かなり酔っ払ってた)
そのままロビーのソファーで眠りこけてしまった。
ザワザワする声で目が覚めた。時刻は朝の7時ちょっとすぎ。
大部屋の前でおばさん4人組みと、孫チームのリーダー伸ちゃんが話している。
眠そうな伸ちゃんと、謝りながらも不思議がるおばさんたち。
タケちゃん、成功したよ!!とか言いながらタケちゃん起こしていたら、旅館の人とタケちゃんのお父さんが飛んできた。
逃げるまもなくつかまる。コッテリ説教。
この年になって、皆が宴会場でご飯を食べる間正座させられた。
二日酔いのため味噌汁だけでも飲ませてくれと訴える私たちに、皆ゲラゲラ笑いながら一口も飲ませてくれなかった。ケチー。
おばあちゃんがイマイチ状況をつかめず、トモとタケに意地悪したらいけん!皆仲良く!!の鶴の一声で、私たちは温かい味噌汁にありつけた。
再びしかれたトモタケ要注意警報は未だに解かれていない。
そんな恩のあるおばあちゃんが3年前亡くなったときも、タケちゃんはお客さんガレージ先導隊隊長に立候補し、大張り切りでトランシーバーを5つ集めて来た。
山の上の家まで車で来るお客さんのために、主要カーブに各隊員をおき、家のガレージの前には自らが陣取り、合言葉まで作って盛り上がっていた。
A地点ダイスケ。そちらは問題ないか?こちらは本部隊長。応答願います。
そんなやり取りを一通り楽しんで、お客さんが一通りそろい、帰還命令はまだかと寒空の中痺れを切らした隊員たちが家に戻ったところ、とっくに隊長の姿はなかった。
隊長が使っていたトランシーバーは隊長の次男カイト(1歳2ヶ月)がべろべろ舐めているところを発見された。
当の隊長は台所の片隅で、お客さん用に届けられた寿司をつまみ食いしながら飲酒中。
ちなみに一緒に飲んでいたのは私。寿司が台所に到着したのを偶然目撃した私はすぐタケちゃんのところに飛んでゆき、そのまま2人でつまみ食い。
久しぶりに会ってもちっとも衰えない連携プレイ。お見事。
その後火葬場でおばあちゃんの煙は、それはそれは綺麗に晴れ渡った空に真っ直ぐ登っていった。
いつもしゃきしゃきしていたおばあちゃんらしい。
私たち一族は正月中の葬儀だったため道行く他の人に縁起悪がられ、血縁者の中で私が一番おばあちゃんに似ていたため大量のお年寄りに拝まれ、
最後の宴会で酔っ払った長男(タケちゃんパパ)さんが、
「天気も良く、ばあちゃんもヤシャ孫に囲まれてまでの大往生。よか葬式ばい!!
ミレニアム葬式たい!!」
斬新な閉会の挨拶と、誰かが言うと思ったミレニアム葬式に、一族揃って苦笑いしながらしめくくれた。
そんな2000年はじめての年の幕開け。
縁側でぼんやりおばあちゃんの育てていたサツキの鉢をみながら、タケちゃんとタケパパとっておきの日本酒を盗み飲みした。
「最後のほうにさ、ワシばあちゃんの見舞いに行くときに破れたジーンズで行ったんじゃ。
ばあちゃんさぁ、皆が見てないときにコッソリ1万円くれるんよ。
タケ、ばあちゃんがお洋服買うたる、皆には秘密な。ズボン買え。ってな。
俺笑うのこらえて、ありがとうってすごく喜んだふりして貰って帰ったんじゃ。
次の日スーツびしっと着て、その1万円でずっとばあちゃんが食べたがってた寿司買って行ったんじゃ。
ばあちゃんクスリのせいでもうろうとしててな。食欲も無いし医者にも止められてたんだけど、
ワシのスーツと寿司見てすごく喜んでな。どうしても食べたがるから食べさせたんじゃ。
一緒に行ったオヤジが、どうせ最後じゃから、食べたいもの食べさせたれって言って。
ばあちゃんうれしそうにアナゴを一つ、ゆっくりゆっくり食べとった。
寿司しまおうとするとイキナリ起き上がってきて、
マグロはタカヨシに、ホタテはミチコにって、6人の子供たちに振分け始めるんだよ。
日本全国に散らばってんのに。
ワシ震える手で振分けられる形の壊れた寿司見ながら、母親ってすげーなーって思ったよ。
廊下に出たら、親父が大泣きしてんの。親父が泣いたの、ワシはじめて見たな。
だから今は晴れ晴れしてミレニアムとか言ってんだよ。ばかだよな。」
おばあちゃんに育てられたサツキの鉢たちは、親を無くして今はすっかり元気が無かった。
私はサツキがいったいいつに咲く花なのか見当もつかなかったから、ただ眠っているだけなのかもしれない。
私とタケちゃんは、そのなかでも一番大きな鉢に日本酒を飲ませた。おばあちゃんとつながってるような気がした。
やっぱりタケちゃんパパに見つかって、サツキの根が腐るといってすごくしかられた。
気の強いおばあちゃんと、新婚当初から同居してくれた嫁に挟まれて、それでも見事に円満な家庭を築いてきたおじちゃんは、
晴れ晴れとした顔をして、私たちと一緒にお酒を飲んだ。
一口飲んでおじちゃんの秘蔵のお酒だと気付かれた。
やっぱりおこられた。
トモタケ警報、一番のおばあちゃん孝行だよネ。いつまでも元気でいなければと思わせていたんだろー。
おばーちゃーん。
でも名前【ツナ】て・・・。