チナウ
2004-05-28 (金) 固まっていた砂が何かの拍子に砕けて [長年日記]
■ また砂時計はサラサラと流れ始めた。
10年以上も前、一人の女の子が姿を消した。突然の失踪だった。
女の子はお世辞にも柄がいいとは言えない町に、お母さんと2人で暮らしていた。
周りの人たちは家出じゃないかとささやきあったが、仲間達は違うと訴えた。
いなくなった日の翌日は女の子にとって大切な日だった。
女優を夢見る女の子は、初めてもらった役で舞台に立つ予定だった。
遅くまで練習して、その日をとても楽しみにしていた。
女の子は劇団の先輩と付き合っていた。先輩は何度も警察に呼ばれ事情徴収をうけた。
先輩も心当たりがまったくなく、警察の尋問は体力と心を消耗させていった。
仲間達は休みの日には探し回った。
女の子は見つからない。
見つかるのは噂ばかり。
隣町で派手な格好をしている女の子を見た。
中学生の頃グレていた。
夜の繁華街で男と歩いてるのを見た。
シンナーを昔吸っていた。
色々な噂や憶測に振り回され、しがみつき、傷つけられ、皆がボロボロになっていった。
そしてとうとう女の子は帰ってこなかった。
時間だけが飛ぶように過ぎた。
いや。
女の子のお母さんや、恋人だった先輩だけをとり残して、
時間は無情にも過ぎていった。
5年経った。
女の子のことが少しづつ想い出になりだした。
10年経った。
忘れたわけではない。
ただ、それぞれの人生で次の時代に移ってしまっていた。
そして今。
誰もが自分の人生を歩んでいた。
今になって。
女の子の失踪は、連れ去られた可能性が濃厚になってきた。
日本中に、女の子のように家出かそれ以外か分からない人たちがたくさんいた。
その中でも女の子は、特にその疑いが濃厚だと言われた。
女の子のお母さんは涙を流した。
それは嬉しさなのか、無情にも過ぎ去った時間を思ってなのか。
それでもお母さんは、暗闇に突然射した小さな光に夢中になってすがった。
女の子の写真を集めて、警察に渡した。
それだけじゃ足りない。もっと女の子の特徴を分かって欲しい。
女の子の失踪直前の頃の映像を手に入れようとした。
持っていたのはかつての恋人だった。
女の子の恋人だった先輩は、暗闇をもがくような数年を過ごした。
自分に本当に落ち度は無かったのか。
女の子は自分を愛してくれていたのか。
もし家出だったら。
自分たちがささやきあった言葉はなんだったのか。
事件に巻き込まれたのであれば、
何故自分は守る事が出来なかったのか。
苦悩の日々は、何日も重なり、年という一塊になり、
それが十数回繰り返された。
先輩と一緒に女の子を探し、先輩を支えつづけたのは女の子の後輩だった。
先輩と後輩は数年前に結婚していた。
波風は立てたくない。
先輩にはもちろんこのまま幸せでいて欲しい。
ただ、あの頃あの子と練習中に撮った映像、それをくれないか。
女の子の母は、すがるような、とてもつらい気持ちで先輩に頼んだ。
何年ぶりかの再会だった。
先輩と奥さんとなった後輩は、快く映像を提供してくれた。
切り取られた時間が、画面を通じて流れてゆく。
仲むつまじいかつての恋人たちが、子猫のようにじゃれあっていた。
年をとらない女の子が、
輝くように微笑んでいた。
それは愛する人にだけ見せる、
花のような笑顔だった。
この花を
無残にむしりとったというのだろうか。
流れる映像を、誰もが直視できなかった。
先輩はこの映像をどんな気持ちで見ていたのだろうか、
そんな先輩を、奥さんとなった後輩はどんな気持ちで見つめていたのだろうか。
それは分からない。
ただあまりにも鮮やかで、
目の奥に火がついたように、
胸の奥に異物があるように、
誰もが溢れてくるものを押さえる事が出来なかった。
こんなに綺麗で悲しい映像を見た事がなかった。
テレビに映る初老の夫婦は伏目がちに語っていた。
娘がいなくなった時、誰もが家出じゃないかといった。
それでも夫婦はそれを信じられなくて、
毎日毎日泣きながら浜辺を探して歩き回ったと。
泣きながら浜辺を歩き回る夫婦を想像し、
たまらなくなってきた。
女の子を捜して夜の町を歩き回った、
あの日々が鮮明に蘇った。
今絶望がこの夫婦たちを襲っている。
礼をのべるのが先だったんじゃないかという、目先の事をわめきまくる第三者の抗議の嵐に晒されながら。
そんなこと子供が見ても分かる。礼を言う言わないの問題ぐらいなら。
どうしてその先にある闇を、大人として見つめる事が出来ないのか。
この夫婦たちはもっと先の、もっと大きな嵐に翻弄されている。
そんな太刀打ちできない大きな嵐の中から、
愛する人を取り返そうと戦っている。
誰も摘み取る権利なんて無い
そんな小さな花をただ静かに咲かせて
静かに一生を終えさせたくて
誰もが普通に持てるはずだった時間を取り返してやりたくて
自らを嵐の中に投じる家族たち
まだまだ闇は深い
まだまだ先は見えない
私たちのもとにも
女の子はまだ帰っていない