ぷっちん日記
2003-02-25 (火) 憂鬱な電話
■ 憂鬱な電話
ある人からの電話は75%の確率で憂鬱だ。大抵泣きそうなヒステリックな声で、必ずしも私に関係ないことをくどくど掻き口説き、仕事を休ませれば良かったなどと言う。もちろん必要なら休むけれど必要かどうかわからなければ休みようもない。一言も会社を休めと頼まず打診もせず終わってから妙に居丈高なヒスを起こす。しかも毎回そうなる。
だいたい、仕事を休ませれば良かったという日本語は非常に奇怪に感じる。学校を休ませるとはいうが、仕事は休んでもらうものではなかろうか? ずっとやりあってきて未だにそういうことが電話口でわめかれる。ほとんど泣き出しそうな口調で、いかにも罪悪感を感じさせよう、謝らせよう、感謝させようという恐ろしい気迫で投げつけられる。げんなりする。感謝はするけれど、本当にこのメカニズムがわからないのだろうか?
たいていの電話は向こうが喋りたいことを喋るだけの一方的なものだ。喋りたいことを喋り終わると切ろうとする。こちらから用があってかけても、大抵は自分の言いたいことをまず喋り、切ろうとする。電話の第一声は滅多に「今大丈夫?」でははじまらない。突然「○○だけどね!聞こえる?!○○だよ!」と恐ろしい緊迫した大声で始まる。電話をとった瞬間、「またか・・・」と思う。
その人にとっては最重要要件なのだろう。それをかけなくてはその人はストレスでほかの仕事もままならないのだろう。仕事の仕上げが、報告という名の苦情電話であることも時にはあっていいのかもしれない。その人の場合はそうであることはかなり多い。
その人にとって、怒れる頑張った自分の苦情を述べ、心ゆくまで感謝させ、できれば非協力的な相手に謝らせることは当然の行動であり、そのことに何の疑いも持っていないようだ。自分のなかで、相手がもっとこうしてくれたら楽だった、という怒りがどんどん膨らんでいき、相手とのやりとりの経緯(自分はちゃんと希望を相手に伝えたか?)、相手の前提としている情報(自分は相手がちゃんと判断できるよう説明したか?)、気持ち(相手はこれを聞いたらどう思うだろう?今相手は何をしているだろう?)などは視野から消えている。少なくとも怒りがおさまるまでは。
それも人生で一度や二度の大パニックなら分かる。だが、多少ストレスがかかる問題に直面するたびに、では、たまったものではない。
それでも私は電話をとる必要がある。それが憂鬱な電話であることは事実だから、日記に書くくらいはいいだろう。