ぷっちん日記
2009-12-13 (日) 栗本薫を偲んで [長年日記]
■ 栗本薫を偲んで
私はグイン・サーガが出てもすぐに買わないし、アニメも全部見ていない。録画はしているし多分DVDも揃えるけど。
栗本薫と出会ったのは中学1年のときだ。当時中3だった、少しアウトロー気味の先輩に貸してもらった。いしゆみという漢字が読めなかったのをいまでも忘れられない。
貸してもらったのが第六巻の「アルゴスの黒太子」だったことが重大だった。その巻は陰謀篇のはじめで、アルド・ナリスの出番だったのだ。おかげで借りたその日からコテコテのナリスファンになった。まあ、1巻から読んだところでそれは変わらなかったと思うが。
栗本さんは私にとって、とても大事な人だった。
正直にいって、栗本作品が全部、すばらしいと思っているわけではないと思うが、しかし特別ではあった。読んでいる人に特別だと思わせる魔力があった。強いて挙げれば要素は2つある。ひとつは、非常に自然に読める冗長な文体。もうひとつは何か魂の中で共鳴する泥くささ、もがいている、なじめないなりに世界の中で自分で居場所を作ろうとする生命力、器用さ、そしていびつさだ。
私は栗本さんの文体の自然さ、文系的な論理的かつ冗長なところが大好きだったし、何よりも、いびつななりに世界に適応しようとするたくましさ、したたかさが好きだった。好きだったというか、それは自分が辿ろうとしている人生の輪郭に見えた。栗本さんに出会わなければ、私はもっと迷っていたかもしれないし、何より、難しい時期を乗り切れなかったかもわからない。
見切れていなかったアニメをたまに観る。そうすると、エンディングテーマがまるでレクイエムのように思える。アニメに関わった人も、栗本さん自身も、栗本薫のこの世での時間が少ないことは十分に知っていた。そうとしか思えない。一読者であった私でもそれは察知していたし、訃報を聞いた朝も「そういえば、そろそろじゃないのかな」と思っていたくらいだから。何より、アニメを見ればそれはわかるんだ。それで切なくなってこういう日記を書いてしまう。
栗本さんが亡くなったときは、あまりにも衝撃が深すぎて、こういう文章を書くことはできなかった。こうやって書いているということは、私のなかで衝撃が薄れ、受け入れられていっている過程だということを意味している。
だからこれからもたまに、栗本薫のことを書いていきたいと思う。一読者として。
2009-12-14 (月) レシートと格闘する週末 [長年日記]
■ レシートと格闘する週末
11月から12月にかけてえらい忙しかった。
- サンフランシスコのRubyConf
- 島根大学とMatsue.rb
- TokyuRubyKaigi01
- ジュンク堂トークセッション
- 札幌RubyKaigi02
で、風邪をひいて一週間だましだまし過ごしているうちに。
家の中がぐちゃぐちゃに。。。
タスクも山積なのだが、タスクをこなすにはせめてコンピューター付近がきれいになっていないととても集中できない。ということで、週末はひたすら片付けをしていた。特に、レシートの処理やら、旅費精算やら、koとの貸し借り整理やらで2日間小槌を使いまくった。おかげで何とか、仕事できる環境になった。
が、日曜の4時前くらいから急に眠くなり、そういえば風邪なのでここは寝ておこうと思ったら、次に目覚めたのがkoの帰ってきた夜9時。1時間程度精算の残りをして寝たら普通に朝まで眠れてしまった。
ということで、風邪が良くなってきた&部屋が仕事する気になる程度には片付いた&10-11月の経費精算が(なくしたレシート分以外は)できた、というだけでタスクが1mmも進まない週末だった。まあ進んだ事を見ような、と自分をなぐさめる。。
2009-12-15 (火) Ruby on Rails Technical Night [長年日記]
■ Ruby on Rails Technical Night
コンテンツワンさんのRuby on Rails Technical Nightを楽しんできた。知り合いが多くてとても楽だった。
懇親会で嬉しかったのが、逆引きRails(著書)を持ってきてくださったSさんのこと。逆引きは辞書みたいに必要なところを読む人が多いと思うけれど、頭からじっくり読んでくださってるみたいで、もう半ばを超えていた。「これを読んだらアプリが動くようになって嬉しい」「おかげでroutes.rbばっちりです」などと言ってくださってとても嬉しくなった。ありがとうございます!!
その後、少人数で打ち上げで軽く一杯やりました(終電ぎりぎりか人によってはオーバーしてたみたいですが)。こちらも楽しかった。コーディング系+経営っぽい話は楽しいなあ。
ストーさんに、なぜプレゼントしたTシャツを着てこないんですか(注:札幌Ruby会議02前夜祭が誕生日と重なったのですがストーさんが素敵なTシャツをプレゼントしてくれたのですね)といわれその通りだと思いました。気が利かなくてすみません。またの機会に。
2009-12-17 (木) 堪えること [長年日記]
■ 堪えること
最近、以前の自分と変わったなあと感じることが時々ある。そのうちのひとつは、「堪える(こらえる)」という感覚がわかるようになったこと。
堪えることができる/できないという話ではない。以前には自分の行動の選択肢になかったものが、視野に入ってきたという感じだ。
私の意味するところの「堪える」の特徴を挙げると次のようなことになる。
- 解決するまでキリキリする、というアプローチをとらない。友人に話したり政治力を駆使して事態を改善することをしない。
- そうなると、解決のメドはたたず、気持ちはおさまらないわけだが、そこを腹にぐっと力をいれて一人で黙って持ちこたえる
その後、解決の方向へ進むこともあるし、ずっと抱えることもあるし、忘れることもある。
とはいえ、現実には降り掛かる問題の大部分を「解決を目指すアプローチ」で処理している。実際に「堪える」ことはそんなにない。ただ、解決ができない限り落ち着かないとか、誰かを巻き込まないと気分が戻せないというやり方が100%なのではなく、稀にそうでない方向にも行けるような気がするというところだ。
# kabaken [大場さんのpdfでポリモーフィックを覚え、今年はずいぶん楽に仕事をすることができました。お陰様で、妻と息子と娘と犬が..]
# nay3 [なんと! 温かいコメントをありがとうございます。お役に立てたならとても嬉しいです^^]