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ぷっちん日記


2006-02-02 (木) 心機一転 [長年日記]

なんだか

ちょっと気持ちが上向きになってきた。風邪は相変わらず長引いているが。

単なる短期的なバイオリズムの変化なのか長期的な節目になるのか。はてさて。


2006-02-03 (金) 気になるキャッチコピー [長年日記]

朝日新聞の新しいキャッチコピー

「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」

最近ちょっと目にしたり耳にする機会が増えたのだが、このキャッチはどうにも、いかがなものかと思う。

私が報道に求めていることは、まず事実をなるべく扇情的でなく公平に客観的に伝えることだ。何か行動を起すべきだという判断は、そういう、事実に基づいた特定の意図のない(少なくとも適切に抑制された)情報をもとに、個人個人が行なうのが理想だと思う。

その理想の報道像に照らし合わせてみると、このキャッチはどうもいただけない。

まず、言葉は時に感情的で残酷だと嘆いている。報道が感情的であるとすれば、それはなるほど嘆かれるべきことだと思うが、報道する側が、手段である言葉に感情的で残酷な性質があると嘆いてみせるのは、果たして姿勢としていいのだろうか。報道の言葉が感情的で残酷で問題となったとする。その時、責任をとるべきは言葉という抽象物か、それとも、言葉を使った本人か? 無論、使った本人であろう。自動車は事故を起すが、自動車が悪いという前に、運転者の責任を普通は指摘するだろう。言葉を適切に使うべき社会的義務を負っているものが、言葉の使い方によって起きうる悪弊を安直に詩的に言葉のせいにして被害者の立場で嘆いてしまっていいものなのだろうか。それが新聞会社のキャッチの冒頭であっていいものなのか。

キャッチは次に無力だと嘆いている。しかし、そもそも、報道自体は無力であっていい。報道さえしてくれれば影響力など狙わなくてもいい。それが重要な報道であれば、その情報によって何かを考え何かを行動する人たちが集まり、それが力になる。ことに報道する立場の人は、報道が力なのではなく、報道によって力が生まれると考えておいたほうが倫理上いいはずだ。報道が力だということは、世論を操作したり、社会的制裁を加えたりできるというだけのことで、これは本来の使命ではなく、むしろジャーナリズムの害悪の部類のはずだ。そういう価値観の私がこのキャッチの「時に無力だ」と嘆くくだりについて感じることは、この会社は世論操作や社会的制裁を加えるような力を発揮することを使命と感じているのだな、ということである。会社の実際のところは私は知るよしもないが、キャッチを読んだ印象はそうなる。(このキャッチにはまことに言葉のチカラがある。)

そしてその感覚はさらに次の文句で裏づけされる。「それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。」どうしても共感できない。このまとめ方には感覚的に違和感を感じる。その一番の原因はやはり、「報道者」である「私たち」ではなく手段にすぎない「言葉」を話題の中心に据えている点にある。

例えば、タバコを売る会社なら、「タバコには人をリラックスさせる効果もあります」「税収で貢献しています」といったタバコに関するキャッチもありだろう。

それは、その会社が、タバコを消費者に提供するというごく単純なミッションを持っており、ミッションの正当性が、タバコの正当性に多くを負っているから成り立つのである。*1

だが、新聞社は言葉という商品を売っているわけではない。いかに言葉を扱うか、言葉をつかって何を伝えるか(おそらく事実と意見が主になるはずだが)が、その新聞社の競争力の源泉であるはずだ。

しかるに、使う人によってどんな結果にもなる言葉、その言葉の曖昧さを嘆いてみせつつ、それでも抽象物である言葉の力を信じるという。それが結論であり意思表明。そんなキャッチで本当にいのだろうか? 誰もこのキャッチを変だと思わないのか? 幼稚だと思わないのか?

より善意的な解釈をしてみるとしても、私にはせいぜい、「誰かを傷つけるかもしれないし役に立たないかもしれないが報道には価値がある。続けたい」という、スランプに陥って職種を変えようかと悩んだがやっぱり続けますという感じのキャッチに思えてしまう。

そんな内向的な防衛的なキャッチでいいのか? ほかの新聞社とうちは良い意味でこう違うんだ、ということを堂々と述べるようなキャッチじゃなきゃ、商業的に意味がないのでは?

例えば、”使い方によって悪い結果を招きかねない不安定な手段である「言葉」、その危険性を知っているからこそ「私たち」はこうする”というメッセージでなくてはならないのではないのか? それが大人の発想というものではないか?

このキャッチには、頼りない手段である言葉を適切に使っていく責任を重く感じている、という、あってしかるべきメッセージが含まれていない。言葉は頼りない。頼りないのは言葉のせいであって私たちのせいではない。言葉のまきおこす不幸については私たちもつらく感じている。でも私たちは言葉を信じる。要するに、最初から最後まで責任を言葉に転嫁していると読めてしまう。そんな異様なキャッチコピーを色々なところに貼り出しているという行為が不思議でたまらないので長文を書いてみた。

*1 タバコという商品の正当性についてはここでは議論しない。正当性あるいは正当性のなさという意味である。


2006-02-08 (水) 風邪はまだまだ治りません [長年日記]

咳がとまりません

咳が癖になってしまった。慣れてしまったのでもう気にしていないが周囲には迷惑をかけているようだ。

そこに階段があるから

月曜の朝、ホテルから出るときに、間違って下り階段に突進して落ちて怪我をした。

漠然と明るいから出口だとおもって突き進んだが窓があるだけでそこは階段だった。床があるべきところが下り階段なのだから、そりゃあ転ぶしかない。痛みと衝撃(ナゼワタシハココニコロゲオチルベクトッシンシテキタノカ?)のあまりしばらく動けなかった。おかげで目的の会議にやや遅刻する羽目に。幸い骨に異常はなさそうだがひどい青あざができた。

思えばそのホテルは入るときも入り口がわかりにくくウロウロさせられた。構造が悪すぎる(やつあたり)。もう行かない(逆恨み)。

断っておくがまったくの素面(飲みすぎたのはその日の夜のこと)での出来事だった。

転んだときの衝撃でパソコンがちょっと壊れたが物理的な問題だったので直せた。そのくらいで済んでよかった。

飲みすぎ

大阪で飲みすぎた。いい加減、気をつけようか。事前の心構えが全て。事前に「遊べるだけ遊ぶ 飲めるだけ飲む」の心境じゃ、そりゃ飲みすぎるよねぇ、と頭を垂れてみる・・・。

飲みすぎるとそれなりに攻撃的にもなるようで、いかんいかん。気をつけないと。

ポジティブ

この波は本物のようだ。がんばってみたい。


2006-02-09 (木) ちょっとつつけば [長年日記]

躁状態だったが

とうとう鬱に追いつかれた風 orz

鬱にするのなんて簡単さ。

なんとかがんばろう・・・。


2006-02-23 (木) ふたたび 楽しい日々 [長年日記]

意を決したので

功名が辻〈1〉 (文春文庫)(司馬 遼太郎)

なにやら人生が掌中に戻ってきたような楽しさに浮かれている。

色々やりたいことが復活した。

週末には久しぶりに真面目に炊事もした。 ほうとうとか、きんぴらとか、かぼちゃスープとか。りんごの赤ワインとはちみつ煮とか。

本も読みたくなり、とりあえず「功名が辻」に手を出してみた。 なんだ、面白いじゃないですか。ドラマをちょっとだけだが見たせいか、楽しさも倍増。

最近考案した法則

  • 丸字フォントを好んで使う人は概してデザインセンスに恵まれていない
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# MIT [あ、やべ、適用されてる。]

#  [あら、適用されましたか^^ 私の観察によると、デザイン苦手な人には、使うだけでそれなりに見栄えに気を使っているように..]

# tetsumi [>丸字フォントを好んで使う人は概してデザインセンスに恵まれていない げ、仕様書いつも丸文字だ。。。。]


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