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ぷっちん日記


2003-03-26 (水) カレーをたべる

しみじみ

昨日 ko の作ってくれたカレーを、コンビ二で買ったごはんにかけて食べる。 桜がとうとう咲き出した。

とてもローになって家に帰る。koの飲みに合流したかったけどいつものことであきれているようだったので恥ずかしくなり、強いて誘ってももらえないし、ひとりとぼとぼ帰る。UOはこんな日に限って落ちている。

メモ帳にひとりだらだら愚痴を書いて、そしてこの日記を書こうとしてWEBの記事が目にとまる。経営の視点を持つことが大事です。大事です!

怒りは淡雪のように消え去り、悲しい気持ちも食欲が満たされるとなんとなくどうでもよくなってゆき、しいていえば眠い。相変わらずUOは落ちている。仕事ばかりしていたけれど、もうあまり仕事がしたくない。というか自由。自由が大事です。大事です!


2005-03-26 (土) 強行軍

引越し

金曜8時に帰宅して、荷造り。ほぼ徹夜で荷造り。夜が明けた頃少しだけ寝て再開。やがて業者さんがやってきた。うわぁ、大変ですねこりゃ、といわれた。恐縮しながらひたすら荷造り。

業者さんは業者さんで、食器棚を出すのに手間取ったりして時間を食い、並行作業の荷造りがどうにか片付いて、新居へ出発したのが4時頃。

そこから、数十分のところにある新居で、荷物の受け入れ。だが、引越しが重なりまくって1基しかないエレベータはなかなか動かず、これまたひどく時間がかかった。

結局、業者さんが引き揚げたのは夜9時。

ひどい目にあった・・

いや、まあ、三連休ろくにやらなかった私が悪いんですがね、はい。

荷解き

荷造りはあれほどやる気がしなくて大変だったのに、荷解きはかなりやる気が出ていて、意外だ。なんだかモノを配置するのが楽しいのだ。そういえば、以前もそうだったような気がしないでもない。

楽しいのはいいけれど、期末で仕事が忙しくて荷解きにしたって満足に時間がとれない(TT) うぅぅ・・・。


2011-03-26 (土) 地震でリリースが飛んだ

地震でリリースが飛んだ

先日、3/11は月に1度全社員がオフィスに集う「帰社日」で、開発中のiPhoneアプリ「みんなのかるた」のリリース作業をする日だった。

14時40分過ぎに地震があった時もSkypeでその連絡をあれこれとしている最中だったのだが、揺れが大きくなり始めたらそれどころではなくなった。社員が窓を開けたりドアを開けたりしてくれたが、壁からはしっくいの白い粉が振ってくる始末。たぶん防災的に正しくはないが、古い建物の中にいるのが恐ろしく感じられ、揺れもおさまらないうちに皆で階段で外に飛び出した。ちなみに弊社は3階にあり、1階まではまっすぐ階段をおりれば出られる構造になっている。

ここで私が得た教訓は、机の下にもぐったりヘルメットをかぶって逃げるなど「頭の防護」が出来ていなかったことと、最初の避難においても「上着」「携帯」「財布」は必要だってことだ。下に出て、なるべくビルから遠くなるように道の真ん中にいたのはまあ仕方ないとしても、そのうちに寒くなるし、貴重品が心配になる。結局、また戻らなければならない。それなら最初にひっつかんで逃げるほうが合理的だと思ったので今後はそうしよう。

その後は、オフィスに短い時間戻って荷物をまとめ、戸締まりをして近所の公園に避難した。オフィスではガラスの花瓶が落ちて割れていて、避難に危ないからと掃除をしてくれた人もいた。のみかけのコーヒーまでテーブルに転がっていた。壁のちかくは落ちた白い粉まみれで、壁には新しくできた気がするひびが入っていて恐ろしい。

公園にいるときに、次の大きな余震がきた。茨城沖のやつだ。避難している人たちが「そ、そ、そ…」という感じで自然発生的に公園の中央に寄った。なるべくビルから離れたいからだ。その頃には、ラジオを持っている人たちや話している人たちのおかげで最初の地震の震源が宮城であることなどは把握できた。(余談だが、ラジオのすごさを知り、会社にも用意することにした。)

携帯がつながらず、koと連絡がつかないので困っていたら社員が「koさんtwitterにつぶやいていましたよ」と教えてくれた。見ると「@nay3 これはやばい」とか書いてある。どうやら地震の最中のレポートらしい。これはまったく安否確認の役に立たない。憤慨しつつ笑った。

やがて公園からもう一度オフィスに戻り、マシンなどを本格的にしまって、帰宅することにした。これがおそらく15:30頃だろう。気のつく社員が、オフィスにあったカイロを配ることを思いついた(これはかなり役に立った)。念のため置き傘も、帰る方向ごとに配布した。このときはじめて、リリース作業をしていたSkypeにて、リリースは止めてもう解散することにしたと告げた。Skypeの向こうでは「え?みんなもう帰るの??」的な平和な反応が流れていたが、気にせず電源を落とした。

その後は、いくつかのグループに分かれて行動した。私は南に帰宅する3人グループに入って、3時間かけて自宅まで歩いた(そのうちの一人はさらに1時間歩いた)。16時前には歩きはじめていたので、幸い、日が暮れる頃にはかなり歩を進められており、割と楽だったほうだろう。悔しかったことといえば、他愛のないことだが、東京タワーの真横、真下を通ったにも関わらず、先端が曲がっていることに気づかなかったことだ。記念写真をとっている人たちを不思議だなあと思って通り過ぎたのだが、当日はまだライトアップされていたということもあり、そのとき東京タワーの写真をとっておけばよかったと後々思った。

津波によって各地に甚大な被害が出たことは、道々で気配としては察知していたが、詳しく知ったのは帰宅してTVを見てからのことだった気がする。宮城に家族がいるので心配したり、その後、被害はあったが命は無事でほっとしたりもした。被災した方々は本当に大変だと思うし、復興に向けて自分にできることをしたいとも思う。そのあたりはだいたい平均的な東京の人の心情どおりだろう。

地震で吹っ飛んでしまったアプリのリリースについてどうするか、まったくアイディアはなく、呆然としたまま1ヶ月は延期しようかと思っていたが、入学シーズンにあわせて早く出したほうがいいという妹の意見になるほどと思ったので、もう一度リリースに向けて動くことにした。近いうちに出せると思う。


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