ぷっちん日記
2002-12-13 (金) 風邪
■ 火曜夜から
風邪に悩まされる。熱は出ないけど痰がからんでだるい。昨日は闇の飲み会だったのをすっかり忘れて早退して寝込んでいて、見事にすっぽかしてしまった。ごめんなさい。。。
2009-12-13 (日) 栗本薫を偲んで
■ 栗本薫を偲んで
私はグイン・サーガが出てもすぐに買わないし、アニメも全部見ていない。録画はしているし多分DVDも揃えるけど。
栗本薫と出会ったのは中学1年のときだ。当時中3だった、少しアウトロー気味の先輩に貸してもらった。いしゆみという漢字が読めなかったのをいまでも忘れられない。
貸してもらったのが第六巻の「アルゴスの黒太子」だったことが重大だった。その巻は陰謀篇のはじめで、アルド・ナリスの出番だったのだ。おかげで借りたその日からコテコテのナリスファンになった。まあ、1巻から読んだところでそれは変わらなかったと思うが。
栗本さんは私にとって、とても大事な人だった。
正直にいって、栗本作品が全部、すばらしいと思っているわけではないと思うが、しかし特別ではあった。読んでいる人に特別だと思わせる魔力があった。強いて挙げれば要素は2つある。ひとつは、非常に自然に読める冗長な文体。もうひとつは何か魂の中で共鳴する泥くささ、もがいている、なじめないなりに世界の中で自分で居場所を作ろうとする生命力、器用さ、そしていびつさだ。
私は栗本さんの文体の自然さ、文系的な論理的かつ冗長なところが大好きだったし、何よりも、いびつななりに世界に適応しようとするたくましさ、したたかさが好きだった。好きだったというか、それは自分が辿ろうとしている人生の輪郭に見えた。栗本さんに出会わなければ、私はもっと迷っていたかもしれないし、何より、難しい時期を乗り切れなかったかもわからない。
見切れていなかったアニメをたまに観る。そうすると、エンディングテーマがまるでレクイエムのように思える。アニメに関わった人も、栗本さん自身も、栗本薫のこの世での時間が少ないことは十分に知っていた。そうとしか思えない。一読者であった私でもそれは察知していたし、訃報を聞いた朝も「そういえば、そろそろじゃないのかな」と思っていたくらいだから。何より、アニメを見ればそれはわかるんだ。それで切なくなってこういう日記を書いてしまう。
栗本さんが亡くなったときは、あまりにも衝撃が深すぎて、こういう文章を書くことはできなかった。こうやって書いているということは、私のなかで衝撃が薄れ、受け入れられていっている過程だということを意味している。
だからこれからもたまに、栗本薫のことを書いていきたいと思う。一読者として。