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ぷっちん日記


2002-05-23 (木) 風邪

一昨日くらいから風邪をひいた。

どうも、近所のラーメン屋さんが混んでいて、40分くらい寒空の下待っていたのがまずかったらしい。翌朝起きたらノドがおかしかった。その翌日に講演を控えていたので、相当まずいと思ったが、なんとか無事終了。

ひさびさにちょっと一息ついた感じだ。

昨夜は妙な夢をみた。

あんまり妙なのでうまく書けないけれども、魔法で猫だの何だのに姿を変えられる。街を飛び回る。なにかあるお嬢様を暗殺しなくてはならないらしい。相棒が失敗してつかまる。トロいので私がリスクを犯して助けるよりはあきらめようかと思った記憶がかすかにある。しかし結局助けているような?

体調が悪くて何度も目が覚めて寝心地が悪かった。そして朝、気づいたらすごい時間だった。ko も大遅刻。ごみんね。。


2003-05-23 (金) ストレス再び...

だめかも

昨日は一日、激しく鬱で悩む。きょうも駄目っぽい。 なんか、できる気がしない。 できる気がするためには学習する余裕とその道筋が見えないといけないのだけれど、自分の持ち時間に対して、各道筋が大変すぎるように見えて、途方にくれる。もっと選ばなければならないんだろうけど、選ぶための余裕もない感じ。。

Maven

ページ作りたいな〜。


2004-05-23 (日) 夏服を買う

夏服を買う

りなさんともっちゃんと3人で池袋西武へ。毎度のことながら買いまくった。最近はゲームばかりで買い物もろくにしていないので、つきあいのつもりでいったけどりなさんと同じペースで買ってしまった。

帰りは、急にもつ鍋が食べたくなり、ねこさんに場所を教わって、もつ鍋屋さんへ。とても美味しかった。やっと道を覚えてうれしい。


2005-05-23 (月) グイン新刊

101巻

読み終わる。まずもって、マリウス君の活躍がとても嬉しい。スカールが切ない。相変わらず女は活躍しない。そんな感想。

そのほか、「けいけい」は漢字のほうがいいと思う、とか。


2007-05-23 (水) 善なる公私混同も組織を乱す

善意に満ちていても公私は分ける必要がある

組織運営において、公私混同をしないということは大事である。特に、組織のトップにおいてはこれが厳しく求められる。トップの公私混同は、組織を最重視しないという意思表明であるので、組織のメンバーがその組織に存在する意義を見失わせる。

公私の「公」は必ずしも会社だけを意味する用語ではないが、この文章では組織運営との文脈で書いてみたいので、公=組織=会社として文章を書いてみる。もっと広い意味の「公」という観点もあるが、それは組織運営上の価値とは別の話なのでここでは触れない。

公私混同のわかりやすい例を挙げてみよう。会社のお金を横領して私的に使い込む。出張で豪遊して費用計上する。架空の交際費を計上して愛人に貢ぐ。こういったことは、誰がみても明らかな公私混同だ。直接的に会社に被害を及ぼす。私利私欲のために組織に被害を与える。これらは一見して邪悪で、憎むべき行為である。

だが、公私混同の定義に、それが「悪」であるということはあるのだろうか? 善なる公私混同は、善だから組織にとって悪影響はないのだろうか?

私の見解は、否である。善なる公私混同も、所詮は公私混同である。公私混同が組織にとってマイナスなのは、それが、邪悪だからだとか、私利私欲のためだから、ということではない。公私混同は、それをした人間が組織を大事にしていないという公式表明である。だから、その人間の部下は軒並みモチベーションを下げる。つまり、組織が崩壊する。

善なる公私混同の例をあげてみよう。これは邪悪な公私混同の例をあげるよりはるかに難しいし判断も微妙になる。例えば、個人的に親しい部下が他人の借金の保証人になって金銭的に困った。その部下の職種やスキルに変化があったわけではないが、自分の権限で、その部下の給料が増えるように融通してやった。部下から一銭の金銭的見返りをもらうわけではないし、後で調節しようと本人たち同士は納得の上行った。こんな例なら、美談だと勘違いする人がいてもおかしくはない。しかし、それを見ている第三者はどう思うだろう。それによって意欲が落ち、生産性が落ち、人が辞める。本来の出発点に私利私欲はないが、このケースでは、組織運営よりもその個人を助けるということを優先したということになる。自分がお金を貸すなら問題ないが、会社の文脈でやってしまったら、組織は乱れる。

あるいは、個人的に強く支えたいと思った部下をプライベートタイムを割いて、会社のことだけでなく人生の他の面も含めて支援したとする。そこまでなら何の公私混同もない。だが、その結果、全体的に時間が不足して、組織として必要な行動がとれなかったとする。その時点でもまだ、時間管理の問題であって、寝すぎたとか、病気になったとかとの違いはなく、混同はない。しかし、組織として必要な行動がとれなかったことのエクスキューズとして、そのプライベートな支援に時間をつかったことを公然と言ってしまったらどうなるか? これは公私混同である。遊園地にいったから時間が足りなくなった、というのと別に情報の質に差はない。私利私欲の犯罪だろうが、善意に満ちた犠牲的行動であろうが、私的なことを公然と組織に持ち込んで、組織運営に害を与えるならば、公私混同である。

私はなにも、私的なことを一切職場に持ち込んではいけないとは思っていない。私的なことはあくまでも私的なこととしてお行儀よく持ち込めばよい。いいコミュニケーションの材料になるので私もよく持ち込んでいる(混同しているつもりはないが間違いがあれば指摘してほしい)。だが、善なる私事だから公的に扱ってよい、それが組織にもプラスになる、積極的に組織内で情報共有するために敢えてそうしたほうがよい、というような理屈は、残念ながら成り立たない。善悪によらず、私事を公とはきちがえれば、組織は乱れる。組織運営とはそういうものだと私は思う。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

# kad [ご無沙汰しています。上記の例ではもともとが善意から出たものでも組織(会社)に不利益をきたしているのでわかりやすくだめ..]

# ねいこ [そのような例では、会社が株主の承認も得て組織として決定すれば問題ないという気もしますね。私がすっとばした前提として、..]


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