ぷっちん日記
2009-07-20 (月) What I got at RubyKaigi 2007-2009 [長年日記]
■ 私がRubyKaigiで得てきたこと
2009年のRuby会議が盛況のうちに幕を閉じた。
私はRuby歴は浅い。実際のところ、After Rails世代なのです。でも、毎年、それなりに電波を受信していると思う。
2007年のRubyKaigiで得たメッセージは「愛」と「コミュニティ」だった。それまで、私は自分が実装していてもいいという理由を自分の感覚以外には持たなかった。まあ、それがあれば十分かもしれないが、それでもRubyKaigiによって、まず、自分が視野の外においていた世界に、愛が満ち溢れているのを目の当たりにした。その愛は、道具への愛であり、道具を愛する人への愛であり、道具をつかって自分たちが幸せにできる人たちへの愛であったと思う。
ある意味、それって生存の条件みたいなことじゃない?
2007年のRubyKaigiは(そのかなりの部分を占めているのはDave Thomasのスピーチだった)ある意味、電撃みたいなものだった。そこまでの衝撃は受けていないものの、2008年のRubyKaigiもよかった。それは私にとって「コミュニティの発見」から「つながることへの成功」を意味していた。知った顔が増えて、懇親会もより楽しいものへと変化した。ただ、まだ貢献をしていなかったのが課題だった。
そして今年。ものすごくしり込みしていたセッションも、koの助けのおかげで応募する勇気がわき、前よりもっとinvolevedな状態になれた。話すことが決まってから”私が話してもいいのかな?”という気後れがすっと心にのしかかっていたけど、参考になったといってくださる人たちがいたのですごく嬉しかった。幸いビジネス的にもなんとかやれてスポンサーになれたのもよかった。会社の人たちもそれぞれ楽しめるところがあったならとても嬉しい。それから、自分が話す場を得たことで、"The Red Pill"を飲んで自由になれたことへのお礼がいえた。とても嬉しい。
でも悔しいことがひとつある。
それは、英語がちゃんとできないこと。
10年前よりはだいぶできるようになって、自分の言いたいことは80%くらい伝えられるようになった。しかし、聞くのは難しい。
聞くほうが喋るより難しいと本気で思ったのはこのRubyKaigiが初めてだった。ある意味、私は以前は喋るのが人より苦手だったのかもしれないし、単に、聞くことの本当のシビアさがわかっていなかったのかも。
とても悔しい。100%を受け取れないがために自分の中での最善の答えを返せないことが。
そして、それはKaigi全体についてもある程度感じていることでもある。日本語だけのプレゼンとか厳しいと思うし、休日のオフィス街でのランチをいきなり外国からきた人がこなすのも大変だ。思うに、日本は外国語の情報いかにキャッチアップするかにかける思いが非常に強い一方、日本語の情報をいかに国際化するかについてはやっぱり経験が薄いよね。全部英語にすればいいとかは微塵も、1ミリも思わないけど、たぶんもう一歩先に簡単に進める部分が十分ある気がした。そのために何かできればいいなあと思う。
それが今年受信したこと。
いろいろな気づきをもらえて、本当にRubyKaigiには感謝しています。