2015|10|
ぷっちん日記
2007-06-11 (月) Dave Thomas氏の講演 [長年日記]
■ 講演内容と感想
忘れないうちに内容と感想を書いておこう。
まず私の覚えている内容は以下のようなものだ。メモをとっておらず、完全に記憶に頼っているので多少違うかもしれない。お気づきの方は補足してください。
- 自分は実はスピーチするためというより、Rubyの生まれ故郷でみなさんにお礼を言うために来た
(ここで最初の拍手。以後、計10回くらい拍手の飛び交う感動的なプレゼンとなった)
- 自分はRuby が大好きである。愛しちゃっている。Rubyとの出会いの頃は、いろいろな開発言語を1時間くらい試してはダメだと言うのを繰り返していたが、Rubyを試したときは、ランチになっても夜になっても翌日になってもずっとRubyで遊んでいた。
- 要するに、恋に落ちた
- 恋に落ちた理由を言うのは難しいが、強いていえば、Rubyは人間の考えるように動作してくれる。つまり、日々考え方ややり方の変わる人間のために色々な書き方を可能にしてくれるし、まわりくどい書き方をせず一発で必要な処理をしてくれる(collectメソッドとか)。私にとっては、一種類の書き方しかできないのではなく、いろいろな書き方ができ、日々工夫や発見ができるというのがとても楽しく重要だ。
- ツールを愛しちゃっていいのか?
- 答えとしては、開発者はツールを愛さなくてはならない。好きでない開発ツールで仕事してるより、好きなツールで仕事するほうが素晴らしい人生。
- 子育てとプログラミングは似ている。子育てもプログラミングも難しい。しばしば思うようにはいかない。愛がなければやってられるものではない。子供もプログラムも、健やかに育ってほしいと思うものである。
- そういう愛情や情熱を持ってプログラミングしないのなら、それは成果に表れる。私がRubyを好きなのは、Rubyは私を生産的にしてくれるからだ。その分はやく顧客を満足させることができる。
- しかし、子供は思春期に差し掛かる。Rubyも14歳。思春期である。
- 思春期になると子供はもはや親には管理できない。親にできることは価値観を示し、聞かれたらアドバイスすることくらいだ。
- Ruby は今、色々な子(IronRuby, JRuby, etc...)とデートしはじめた。
- 子供と同様、Rubyの今後を我々が完全にコントロールすることは無理だが、子育ての場合と同様、価値観を示さなくてはならない。つまり方向性を打ち出さなくてはならない。
- Unicodeを入れるのはマストとして、それ以外のことはよく議論していこう。
- 自分の意見としては、RubyはただひとつのRubyでなくてはならない。会社ごとにRuby自体の種類が増えるのではだめで、ライブラリの追加のような形でなくてはいけない。
- Rubyのいいところを変えてはいけない。柔軟でアジャイルなところや、開発者にやさしいところ。オープンなところ(言語の特徴としても、コミュニティの活動プロセスとしても)。
- Ruby はこれからエンタープライズ利用で爆発的に使われる。いまはその節目だ。これから、外から新しい人がどんどんやってくる。もはやRubyは孤島ではなく広い世界であり、我々はやってくる人たちを歓迎して、彼らの言うことにも耳を傾けなくてはならない(言われるままに変わるという意味ではない)。(※関連する質問で出た内容をプラスすると)数年すると、Rubyで書かれたコードがあまりにも多くなりすぎて、冒険はできなくなるので、いまのうちによく遊んでおく(思春期の子供が経験をつむように)ことだ。積極的に実験するべきだ。ただし、それによってRuby本質が劇的に変わるようなことにはならないだろうと私は思っている。
- Ruby の親、つまりMatzとコミュニティはとても素晴らしい。愛にあふれている。だからきっとこの重大な局面をうまく乗り切れる。Rubyはきっとさらに大きく育っていくだろう。がんばっていこう。
だいたいこんな主旨の講演だった。(多少順序が混乱しているかもだが。。)
あっちこっちでジーンと来ることを言うので、彼がしゃべる、こっちが拍手する、彼がしゃべる、こっちが拍手する、みたいな、ものすごく一体感のある感動的なセッションだった。最後はみんな立ち上がって拍手。いやー、マジ感動。。。
個人的な感覚としては、すごくホーム感を感じた。Rubyだということのホーム感ではなくて(さすがにRuby歴1年でそんなこと言ったらおこがましいわけで)、プログラミングが好き、実装が好き、アジャイルが好き、ずっと開発者でいたい、みたいな志向を持っている自分がここにいることはすごく正しいことだ、という感じがした。